偐万葉田舎家持歌集
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昨日(6月17日)、梅雨の晴れ間の好日、友人の偐山頭火氏との銀輪散歩。久々の遠出となりました。まあ、隣県の奈良県天理市ほかですから、遠出と言えるほどのものではありませんが、「近隣散歩」のカテゴリーに入らぬ銀輪散歩は「遠出」ということになります。 朝9時半、喫茶・ペリカンの家で待ち合わせ。 そこで、同氏のベンツに自転車・トレンクルを積み込み出発。積載スペースの関係で、同氏はMTBであるのに対して、ヤカモチは小口径の折りたたみ自転車トレンクルである。 奈良県河合町の廣瀬神社に駐車させていただき、そこで自転車を車から降ろして、偐偐銀輪散歩スタートである。 (廣瀬神社) この神社は4月8日の飛鳥川銀輪散歩で立ち寄って以来である。 <参考>飛鳥川銀輪散歩(その3) 2021.4.12. 境内、参道では、絵画サークルの皆さんが写生をして居られました。 (同上、写生をされている皆さん) 今回は、偐山頭火氏のご提案コースで、目的地は、天理市役所南側のうなぎの店・淡水、天理教教祖生誕の家、大和神社、手白香皇女衾田陵、柿本人麻呂万葉歌碑、黒塚古墳、あとは適当に・・というもの。 コースの概略を地図上で示せば以下の通りです。 (コース概略図) 廣瀬神社出発が10時44分。まずは、腹ごしらえと、天理市のうなぎの店へと向かう。 近鉄線・結崎駅北側の踏切を渡り、京奈和自動車道の高架下を潜り東進した先の小さな祠、菅原神社で小休止。偐山頭火氏が「淡水」に電話し、昼食の予約。予約して置かないと、客が多いと長く待たされることになるからとのこと。 (菅原神社) 更に東へ走り、JR桜井線の踏切を渡り、国道169号を北へ。 うなぎの店・淡水に到着。 店の前の駐車場の片隅に駐輪して、店内に。 トレンクルのハンドルに括り付けていたペットボトルの青い色の収納カバーというかケースというか、どうしようかと思ったが、取りはずさずそのままにして店に入りました。途中のコンビニで購入した冷凍のスポーツドリンクが未開封のまま入っていて、まだ凍ったままであったので、そのままにして置いたという次第。 (うなぎの店・淡水) (同上) 昼食であれ、何であれ、食事は目の前に置かれたら、すぐにも食べ始めるというのがヤカモチ流。しかも頗る早食い。従って、これを写真に撮るなどは「吾事ニ非ズ」なのだが、偐山頭火氏がメールでその写真を送って来た。 (昼食のうな重) 大伴家持が吉田石麻呂さんをからかった歌。 石麻呂に 我物申す 夏痩せに よしといふものそ 鰻捕り食せ (大伴家持 万葉集巻16-3853) ではないが、 ヤカモチに われもの申す 記事ネタに よしといふものぞ 鰻撮りませ ということでもあるか。 で、気づいたことなのであるが、うな重の写真の撮影時刻が13時20分となっている。ヤカモチが食べ終わって店を出てから撮った写真が上2枚の店の写真であり、その撮影時刻は、12時23分と24分になっている。ヤカモチのカメラの時計設定はほぼ正しい。 どうやら、偐山頭火氏のカメラの撮影時刻設定は1時間半位先に進んでいるようです。 撮る撮るも 時たがひては のちのちの まがひとなりぬ 時合はせ撮れ (本歌)痩す痩すも 生けらばあらむを はたやはた 鰻を捕ると 川に流るな (大伴家持 万葉集巻16-3854) 鰻のことはさて置き、自転車の駐輪場所に戻って、気が付いたことは、ペットボトルごと収納カバー(ケース)が無くなっているということでありました。こんなものを盗む奴はいないと思うが、無くなっているということは、誰かが盗んだということになる。 凍ったスポーツドリンクが解け出して丁度飲み頃になっている筈なのに、何てこった、である。 再度、買って、またしばらく時間を置く必要があるではないか。それに収納ケースが無いからハンドルに括り付けるという方法はとれない。ザックのバックポケットにそれを放り込む。 南へと走る。国道169号に出て南へ。 次の目的地は、天理教教祖誕生殿。 すなわち教祖、中山みきの生家である。 偐山頭火氏もヤカモチも天理教とは無縁。如何なる理由があって、立ち寄り場所に選ばれたのかは存じ上げないが、まあ、偐偐銀輪散歩には理由なんぞは不要であるから、「君が行くなら僕も行く」にてお付き合いであります。 (天理教教祖・中山みきの生家) (誕生殿説明碑) ※画像をクリックすると大きいサイズのフォト蔵写真画面が別窓で開きますので、それでお読みくださいCM。この場合、CM画面が覆いかぶさっていることがあります。当該CM画面の×印をクリックすると、CM画面が消え、正常に見ることができます。 JR長柄駅前に回り、トイレ休憩の後、大和神社へ。 大和神社も何度か訪れているが、ブログを始めてからは2013年3月15日が最初で最後であったようで、久々の訪問となる。 <参考>山の辺の道銀輪散歩・桜井から長柄まで(その4) 2013.3.19. 昔に訪ねた時の記憶では、何やら「うらさびにけり」という感じであったが、今回訪ねてみると、その評価や感想は別に置くとして、色々な石碑や境内社が増えてにぎやかなことになっていました。 (大和神社) (同上・由緒) (境内社・高龗神社) (同上・説明碑) 戦艦大和ゆかりの神社でもあるらしい。 参道の長さが戦艦大和の艇長とほぼ同じになっているということは、記憶にあったので、昔に来た時に知ったのか、何かで読んで知ったのかは、定かではないが、今回そのぼんやりした記憶が間違いではなかったことが明確になったという次第。 (戦艦大和ゆかりの神社の碑) (同上・説明碑) 戦艦大和の展示館まである。 と言っても、戦艦大和の模型や絵画などが展示されている小さな小屋に過ぎないのではあるが・・。 (同上・戦艦大和展示館) (同上)
そして、山上憶良の好去好来の歌に関連の碑も。 (好去好来の碑) (同上・副碑) 憶良のこの歌は、天平5年3月1日に、憶良宅を訪れた遣唐使の大使多治比広成に対して、唐への旅の安全を祈念して贈った歌である。 憶良は天平5年中に没したと推定されているから、その最晩年の作になる歌である。多治比広成以下の遣唐使一行は、この歌の一か月後、天平5年4月3日に4隻の船に分乗して、難波の港を出発していったのである。 この歌が、戦艦大和に関連付けられてこの地に建碑されているとしたら、憶良さんもビックリというものだろう。 この後、国道169号に出て、南へ。 手白香皇女衾田陵へと向かいますが、続きは明日以降のこととし、本日はここまでとします。(つづく)
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プロフィール
けん家持
養老2年(718年)の生まれゆゑ、年令1306才(養老元年生れ説だと1307才)。銀輪歌人、偐家持(ニセヤカモチ)。若草の里の読書会に屯しています。時に「まっ黒の走子」。時に「偐定家」。時に「筆蕪蕉(不精者)」であります。また、時々は偐家持美術館のヤカモチ館長でもあります。自転車(銀輪)であちらこちらを気ままに散歩し、花を愛でたり、虫と遊んだり、万葉調の歌(と言っても大抵は戯れ歌)などを作ったりしています。
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