カテゴリ:銀輪万葉
(承前)
長野銀輪散歩の続編です。 朝8時10分長野駅前出発。 長野大通りを北上。この通りは長野電鉄・長野線が通っているのだが、地下路線になっているので、そうとは気づかない。権堂駅の先、国道406号との交差点(田町西交差点)で左(西)に行く。 上り坂である。坂の途中にあったのが武井神社。 (武井神社)<参考>武井神社・Wikipedia 善光寺の三鎮守のひとつということで、一応ご挨拶。 主祭神は諏訪大社と同じくタケミナカタ(建御名方命)。 (同上・拝殿) 武井神社から150mほど坂を上ったところが大門交差点。これを右に入ると参道で正面に仁王門が見える。仁王門までも結構な急坂の上り道である。 大本願を左手に見つつ上って行くと仁王門である。 (善光寺・仁王門 左側が大本願) (同上・仁王門説明碑) 仁王門の左手脇で休憩して水分補給。 目の前にあったのが良寛さんの詩碑。 (良寛詩碑) 再游善光寺 曽従先師游此地 回首悠々二十年 門前流水屋後嶺 風光猶似昔日妍 再び善光寺に游ぶ 曾て先師に従ひて此の地に游ぶ 首(かうべ)を回(めぐら)せば悠々二十年 門前の流水 屋後の嶺 風光猶似たり昔日の妍 良寛さんは20年ぶりに訪れた善光寺の様子、風光を昔のままのたおやかな美しさであると褒めていますが、14年ぶりの訪問のヤカモチ、殆ど記憶がないので、昔日の妍も何もあったものではない。多くは、初めて見るに似たりであります。 (同上・説明副碑) 良寛詩碑の奥に稲畑汀子の句碑。 (稲畑汀子)<参考>稲畑汀子・Wikipedia よべ星と語りし秋を惜み発つ (汀子) 稲畑汀子は高浜虚子の孫。今年2月27日、91歳でお亡くなりになったばかりとのことだが、善光寺さんでお目にかかるとは、であります。 この句は昭和55年(1980年)秋、善光寺にて詠まれたもののようだから、彼女49歳の詠ということになる。 仲見世通りを北上して山門へ。 (善光寺仲見世通り) 仲見世通りを通り抜けた先で、「これより自転車進入禁止」の表示。 駐輪場は、第4駐車場にあるよう。 <参考>善光寺・Wikipedia (善光寺境内図) 是非に及ばず。 左に大回りして北西隅の第4駐車場にトレンクルを駐輪。 かくて、またしても裏口からの入場である。 先ず目に入るのは忠霊殿。 戊辰戦争から第二次世界大戦までの戦死者の霊を祀っている施設。 (忠霊殿) 忠霊殿から少し下ったところにあったのが、宝生流謡曲岡本翠山翁碑。 (宝生流謡曲岡本翠山翁碑) 岡本翠山は初めて知る名前。 (同上・副碑) そして、本堂へ。さすがに本堂は記憶にある。 (本堂) (同上・説明碑) 前回は本堂内に立ち入ったのかどうかも記憶が曖昧なのであるが、今回は戒壇巡りもして来ました。真っ暗な中を進む戒壇巡りは2018年4月の5人組ウオークで訪れた木ノ本地蔵以来だから、4年ぶり。木ノ本地蔵ではホントに真っ暗で漆黒に包まれたという感じであったが、善光寺のそれは足元に点々と僅かばかりの照明灯が進路を示してくれるので、少し感じが違う。 <参考>5人組ウオーク・賤ケ岳から木ノ本地蔵へ 2018.4.21. 本堂から出て、鐘楼を右に見て東に進むと、お守りだとか寺関連のお土産品を販売している建物があって、その裏に回ると、神社で見かける絵馬が吊るされている光景がありました。 (寺にも絵馬) 絵馬は神社だけかと思っていたヤカモチですが、お寺にも絵馬を奉納するのですな。牛にひかれて善光寺まいり、の善光寺であっても奉納するのは絵牛ではなく絵馬であるか。まあ、板に馬の絵を描いて本物の馬の代用として納めたのが絵馬の起源であるから、牛の絵を描けば絵牛。そんなことを考えてのことか、ここでは牛が描かれている絵馬もある、いや絵牛がある。それどころか、吊られている中には「絵熊」も沢山あるではないか。 少し北に行くと藤原采女亮の碑がありました。 (藤原采女亮碑)<参考>藤原采女亮政之・Wikipedia 藤原采女亮政之は鎌倉時代末期の人。元寇に備えて武士が集まっている下関で髪結所を開き、武士相手に髪結いを始めたが、その技術が高く評価されて幕府でも重宝される存在になったとのこと。我が国に於ける理美容業の祖とされる人物である。 理容師さんなどにはよく知られている人物なんだろうが、ヤカモチは今回初めて知りました。 (同上・副碑) 裏口から入ったので、順序が逆になるが、山門まで戻り、山門から本堂を眺めてみました。 (善光寺・山門から本堂を望む) (善光寺・山門) 山門に掲げられている寺名の扁額の文字は、鳩文字と言って、漢字の中に鳩が5羽隠れているとのこと。 山門から更に南に下ると六地蔵さん。 これは前回訪問時のブログ記事を見ると、後ろ姿の写真になっているので、今回はお顔が写る角度から撮影。 (六地蔵) <参考>善光寺 2008.7.26. (同上・説明碑) 仲見世通りの前まで戻って来たので、土産物店2階の喫茶店で少し休憩。 よくきいた冷房が夏の日差しで火照った体に心地よい。 仲見世と境内域とを画する東西道と境内との間を流れる水路で、スズメとセグロセキレイが水遊びの場所をめぐってせめぎ合っている姿などを喫茶店の窓から眺めていました。小さな川中島の戦いでありました。 店で30分ほど過ごして、再び善光寺境内地へ。 仏足石の前を通って大勧進へ。 (仏足石) (大勧進の建物の一つ) (大勧進の護摩堂) 善光寺は、天台宗の名刹から推挙された僧侶が貫主を務める大勧進及びこれに連なる25院と代々公家出身者を迎えて住職(善光寺上人・大本願上人)とする浄土宗の大本願及びこれに連なる14坊とによって護持・運営されている、無宗派の単立仏教寺院である。 大勧進の北側にあったのは聖徳太子の碑。 (聖徳皇太子碑) (同上・説明副碑) 経蔵の前を通り、本堂西側から第4駐車場へと戻る。 (経蔵) (同上) (同上・説明碑) 第4駐車場に戻り、駐輪させていただいていたトレンクルを受け取り、善光寺の東側にある城山公園へ。 本日は、ここまでとします。(つづく) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022.07.11 16:59:31
コメント(0) | コメントを書く
[銀輪万葉] カテゴリの最新記事
|
|