カテゴリ:銀輪万葉
(承前)
前ページの続編です。 善光寺の東側にある城山公園に立ち寄る。 (城山公園・東山魁夷館の前付近から西方向を望む) 上の写真にも写っているが、公園の噴水では子どもたちが、水が噴き上がるるごとに楽しそうに噴水の中を走り回っていました。 公園には、県立美術館と東山魁夷館がある。 上の写真は、その東山魁夷館の前から噴水の方を眺めたものである。 (城山公園位置図) 公園北側エリアの林の中には、ライオンもいました。 (ライオンもいました。) ライオンの横を通って道路に出ると向かいが長野清泉女学院高校。 この道を左(北)に走ると城山動物園でありましたから、このライオンはこの動物園から脱走したに違いない(笑)。 実は、公園を適当に散策しているうちに方向感覚が狂ってしまったようで、本人は反対方向の南に向かって走っているつもりであったのでした。 道は、広場のようなところで行き止まり。 大きな合歓の木がここにありました。 (合歓の木 画像をクリックして大きいサイズの写真でご覧下さい。) 写真ではちょっと分かりにくいですが、花を沢山つけていました。 ここは、動物園の裏口(写真右手)のようです。 正面に石段があって鳥居がある。何という神社だろうと石段を上がってみると、信濃招魂社とありました。戦死者の霊を祀る神社。 (信濃招魂社) 境内に「百鳥争鳴戸隠辺」で始まる「信濃八景」という詩碑がありましたが、どういう趣旨でここに建立されたのかは不明というか、裏面の文字を読まずに立ち去りましたので、理解していません。 (信濃八景の詩碑) 道をとって返し、城山公園の北エリアへと引き返す。 (御幸町三峯神社と相棒のマイ・トレンクル) 公園入口近くにあったのは、御幸町三峯神社。 明治24年5月、6月と大火災など次々に火災が起こったことから、地元の人たちが協議して、秩父の三峯神社の勧請を決議、代表者が秩父に参拝し一年ごと引き換えの神札を頂戴して持ち帰り、宮を造営してこれを安置したのがこの神社の始まりだそうな。 (三峯神社由緒) (御幸町三峯神社由緒) その境内地にはこんなお地蔵さんもありました。 (地蔵大士石像) 説明碑によると幕末期に善光寺は大地震に見舞われたらしく、その折にご本尊がこの地に避難し、50余日間遷座されたとのことで、そのことを後世に伝えるためにこのお地蔵さんを建立したと説明されている。 (同上・説明碑) 公園に入ると、若いお母さんが幼児3人を連れて、噴水広場に行こうとされているよう。しかし、地元の人ではないようで、噴水の場所が何処なのかよくわかっていない感じ。そこで、「噴水に遊びに行くのか」と子どもに話しかけてみた。すると、お母さんから「そうなんです。近いのですか。」という言葉。そこで、お節介ヤカモチは、それが見える場所まで母子を誘導したのでしたが、道に迷っていたのは自分の方であるのにと自分に苦笑でありました。まあ、城山公園まで戻って来て、この時には方向感覚は正常に復していたのでありましたから、他人様を誘導する余裕もあったという次第。 六地蔵さんの背中を右に見つつ、仲見世通りまで戻って来て、目に入ったお蕎麦屋さん(山城屋)で昼食(店の前に駐輪できたのが決め手)。 昼食後、仲見世通りの一つ東側の通りを南へと下る。 通りには、蓮華院、世尊院、常住院、向佛坊、正信坊、浄願坊などの宿坊が並ぶ。「院」とあるのは天台宗系、「坊」とあるのは浄土宗系の宿坊であるのだろう。 仁王門の北側を通る東西道を過ぎて更に南に下った突き当りの道を左に行くと、その突き当りに西宮神社がありました。 <参考>西宮神社(長野市)・Wikipedia (西宮神社 Wikipediaより転載) 西宮神社から南に下ると、往路でご挨拶した武井神社の西側の道路で国道406号に出る。 これを東に進み、田町西交差点で長野大通りを右折、南へ。 この通りは長野電鉄・長野線が走っているのだが地下路線になっているので、地下駅への出入り口によって、それと気が付くに過ぎない。 (権堂駅出入口 田町西交差点付近 Wikipediaより転載) 長野駅前の一つ手前、南千歳町交差点を左折して、アンダーパスでJR線を潜って、駅東口側に回る。 何処といって行くあてもなく、何処か適当な公園の木陰で休憩しようと走っているうちに出会ったのが若里公園。 自転車乗り入れ禁止かと、公園入口近くの駐輪場に駐輪しようとしていると、地元の人たちは自転車に乗ったまま進入して行く。ならばヤカモチもと乗ったまま公園に進入。 公園内には文化ホールと図書館がある。 (ホクト文化ホール 若里公園) 公園の木陰で風に吹かれたり、東屋や図書館などで休憩したり、喫茶店に入ったりしているうちに、サイクリング続行モードは完全消滅。 (県立図書館 若里公園) 今回は、猛暑に加えて、左足底筋の痛みなどがあって、いささか中途半端な銀輪散歩となってしまいましたが、これにて長野銀輪散歩終了です。 最後に歌などオマケの話。 (善光寺のハナズオウ) 花蘇芳 真夏にあれば 雑巾を 並べ干したり 信濃のみ寺 (偐家持) (本歌)春過ぎて 夏来たるらし 白妙の 衣干したり 天の香具山 (持統天皇 万葉集巻1-28) これは、善光寺の庭にあったハナズオウですが、花の時期は過ぎて、マメ科植物のそれらしく豆莢状の実を一杯つけていました。 ハナズオウの木はイスカリオテのユダが首を吊って死んだ木という伝説があり、花言葉も「裏切り」、「反逆」、「不信仰」などという不吉なものですが、これは、この雑巾が垂れ下がっているような、夏から秋へのこの木の姿に関係してのことかもしれない。 春先の花の時期には、紫がかったピンクの小さな花が密集して咲き、可憐で美しい姿であるから、キリスト教圏でない日本では、春を告げる縁起のいい花として、「喜び」、「目覚め」、「豊かな生涯」などというプラス・イメージの花言葉もある。 花蘇芳 春の目覚めの 喜びも 夏さり来れば 雑巾垂るる (偐家持) 以上です。ー完ー お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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