カテゴリ:銀輪万葉
神戸方面に出かけるついでがあったので、昨年夏の銀輪散歩で、道を勘違いして見つけることができなかった兵庫大仏に立ち寄って来ました。
<参考>敏馬から舞子へ(その3) 2021.8.9. JR神戸駅近くで、神戸在住の息子と久しぶりに昼食を共にし、二人で兵庫大仏へ。 (兵庫大仏・能福寺) 兵庫大仏のある能福寺は、JR兵庫駅と地下鉄海岸線の中央市場前駅との中間くらいの位置にある(下図参照)。 (兵庫大仏位置図) 昨夏は、地下鉄海岸線の通っている道をハーバーランドから自転車で走って来たのだが、今回は自転車ではなく地下鉄にひと駅乗って、中央市場前駅で下車、イオンモールの脇を通って、兵庫運河(新川)に架かる入江橋の上の「清盛くん」にご挨拶して西へ。 昨夏は、新川に沿って入江橋から500mほど南の橋を通る県道489号を西に進んで、大仏探しをしていたので、見つかる筈もなかったのでした。 今回は、前回の失敗の際に帰宅後地図で所在位置を再確認したこともあって、間違うこともなく、すぐに到着でした。 (同上) (同上) なかなかのイケメン大仏である。 (同上) (同上・説明碑)※能福寺・Wikipedia この大仏は2代目。 初代は、1891年(明治24年)5月、豪商・南条荘兵衛の寄進により建立され、日本三大大仏の一つに数えられたらしいが、太平洋戦争のさ中である1944年(昭和19年)5月に金属類回収令により解体、国に供出されてしまう。因みに、Wikipediaに掲載されている初代の写真はこれ。 (初代・兵庫大仏) 現在の2代目は、1991年(平成3年)5月9日に再建されたもの。 能福寺は、延暦24年(805年)に最澄により能福護国密寺として創建されたものとのこと(寺伝)。平清盛所縁の寺として知られ、境内には清盛の供養塔(平相国廟)がある。 江戸時代の寺格は、京都青蓮院門跡の院家(門跡不在時の代理を務める格式の寺)であったとのこと。 (能福寺本堂・月輪影殿) 本堂になっている月輪影殿は、京都東山の泉涌寺の歴代天皇の墓陵(月輪御陵)にあったものを1954年(昭和29年)に、宮内省と九条家により移築されたものとのこと。 (月輪影殿・説明碑) (青蓮院門跡旧院家・説明碑) そして、平清盛の墓です。 (平清盛墓所<平相国廟>) (同上) (同上・説明碑) 鐘楼を挟んで清盛墓所と反対側にあるのが、瀧善三郎正信顕彰碑。 (瀧善三郎正信顕彰碑)※神戸事件・Wikipedia 神戸事件や瀧善三郎のことなどは、よくは知らなかったが、寺の外塀に設置されていた説明碑で勉強であります。 (同上・説明碑) 備前藩兵の隊列を横切ったフランス人水兵を負傷させたことで、銃撃戦に発展した事件であるが、その隊の隊長であった瀧善三郎が責任を一身に負って切腹することで、明治新政府の外交上の危機を回避することが出来たという事件。その瀧善三郎正信の辞世の歌がこれだという。 きのう見し 夢は今さら ひきかえて 神戸の浦に 名をやあげなむ 見忘れし 兵庫大仏 けふ訪ね 神戸の浦に 君が名を知る (偐家持) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022.10.08 22:39:23
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