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偐万葉田舎家持歌集

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2022.11.17
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カテゴリ:銀輪万葉

(​承前​)
​​​​​​ ザビエル記念聖堂を出て、亀山公園へと向かいます。
 聖堂の前庭から亀山山頂へと上る階段を上ると亀山公園・パークロードへと下る​道に出る。
 其処にあったのがこの石碑。

(大内義長の裁許状の碑)<参考>大内義長​・Wikipedia
 大内義長は、毛利元就によって滅ぼされる大内氏最後の当主。

(同上・副碑)
 大内義長がキリスト教会建立を許可した裁許状の碑。
 此処に山口カトリック教会、ザビエル記念聖堂が存在するのは、この大内義長の裁許状があってのものということになるか。日本最初のキリスト教会だという。
 亀山山頂へは更に階段を上らなければならないが、山頂は遠慮して下り道を選択。
誘ふとて 何か上らん 亀山に 見れば下りの 道もこそあり (偐家持)
(本歌)誘ふとて 何か恨みん 時きては
         嵐のほかに 花もこそ散れ (大内義長辞世の歌)

 下り道の入り口にあったのが、国木田独歩の碑。

(国木田独歩文学碑)<参考>​国木田独歩​・Wikipedia
 山林に自由存す  国木田独歩
 国木田独歩も少年期を山口で過ごしているのでしたか。
 彼が通った今道小学校というのは、現在の白石小学校で、熊野神社から山口市役所前へと走って来た道の左側にあった小学校である。そして、山口中学校(現・県立山口高校)に進学している。中原中也も山口中学に進学しているから、独歩は中也の中学の先輩ということになる。
 年齢差が36歳もあるから先輩・後輩と言っても余り関係はないか。それに二人とも中途退学している。独歩は、学制改革もあって、親の反対を押し切って、東京専門学校(現・早稲田大学)に入学し、中也は、成績上位で入学するも、その後の学業成績が悪くて落第、外聞が悪いとして、親によって京都の立命館中学校に転校させられている。
 36歳差ということは、干支が同じということである。
 両者共に未
(ひつじ)である。
 ヤカモチが入社した頃、当時の仕事始めは、社長の年頭の挨拶で始まる立食パーティー形式の新年互例会だけで解散で、実質的な仕事はなしで退社というのが恒例。その互例会の準備、運営、後片付けは総務部が担当していた。本社総務部に配属されていたヤカモチはそういう仕事も行っていた。
 互例会終了後は、本社各部に戻りそれぞれのやり方で新年を祝って、適宜に退社という形になるのだが、総務部は、それぞれの部署が皆引き上げるまでは居残っていることになる。
 社長室でも、社長を囲んで、役員や部長などが入れ替わりつつの歓談となるのが恒例となっていたが、総務部は役員秘書業務も担当していたので、秘書担当の社員がそのお世話係として同席するほかに担当外の若手社員や女子社員も同席することが多くあった。
 或る年の新年互例会の日のこと、社長室でのその新年の歓談にヤカモチも同席していたことがあって、干支の話になり、社長がヤカモチと同じ干支であることを知り、「同じ干支ですね。」と申し上げたところ、「おお、君もそうか。ふた回り違いということだね。」と社長。「そうなりますね。」とヤカモチ。そう言ったものの「??」。「いや、違いますよ、社長。三まわりです。」と訂正したところ、同席の別の役員が「社長、歳を12もサバを読んだらあきまへんで。」とか何とか突っ込みを入れて、「笑い」というような場面のあったことを思い出すが、ひょっとすると、社長はわざと「ふた回り」とジョークを言ったのかもと思ったりもしている。
 それはさて置き、36歳の年齢差がどんな感じのものかを、若き日のヤカモチと当時の社長との比較に於いて体感しているヤカモチであります。
​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​

(同上・副碑)
 山に沿ってジグザグに下って行くスロープの道は、ジグとザグとのつなぎ目が必ず階段になっているという中途半端な構造。
 これは、自転車で走り下ることを防止するための意図された設計なのか、斜度が急過ぎることから階段を取り入れざるを得ないという立地上の問題なのかは不明。
 そんなことで、折角の下り坂にもかかわらず、走り下ることはできず、トレンクルを押したり、手に提げたりしての移動でありました。
 後で地図で見ると、反対方向に行けば、自転車に乗ったままで博物館前に下れたようです。
 下り切ったところは、博物館と県立美術館との中間くらいの亀山公園の森の中。
 亀山公園を横断する広い道路はパークロード。
 ケヤキが黄葉して美しい。

(パークロード)

(同上)

(亀山公園)
 この近くに、独歩や中也が通った山口中学(現・県立山口高校)の跡地がある筈なのだが、その痕跡を見つけることができませんでした。まあ、パークロードに沿って走っただけで、余り熱心に探した訳でもないので、仕方ないか。
 ということで、今回の銀輪散歩の予定には入れていなかった瑠璃光寺に向かうこととする。
 瑠璃光寺への坂道を上って行くと、瑠璃光寺の手前にあったのが洞春寺の山門。

(洞春寺山門)
<参考>​洞春寺​・山口県観光サイト
    ​洞春寺​・周防山口館【大内庭園】
 洞春寺は、毛利元就の菩提寺。
 元々は、大内盛見の菩提寺・国清寺があった場所。
 瑠璃光寺からの帰りに立ち寄ってみようと、山門だけを撮ってやり過ごしたが、帰途はそのことを忘れて立ち寄らぬままに帰ってしまったので、洞春寺については、上記<参考>のサイトをご覧ください。

(同上・説明碑)
 瑠璃光寺到着。
 瑠璃光寺五重塔は、予ねてその名は知っていたが初めての訪問。
 一帯は香山公園となっていて、瑠璃光寺境内と公園との境目がよく分からない・・と言うか、境内そのものが公園と呼ばれているのでもあるか。

(瑠璃光寺・五重塔)<参考>​瑠璃光寺​・Wikipedia
 瑠璃光寺は、大内氏25代当主・大内義弘がこの地に建立した香積寺が始まり。五重塔は、義弘を弔うため、弟の26代当主・大内盛見が建設を始めたものとのこと。
 大内氏が毛利元就によって滅亡した後も香積寺は毛利氏の庇護のもと存続するが、関ヶ原の戦で毛利輝元が西軍総大将となったことから、毛利の版図は周防・長門の2ヶ国に減封となり、輝元は萩城に移る。この時、香積寺も萩に移転する。元禄3年(1690年)になって、その跡地に移転して来たのが山口市仁保高野にあった瑠璃光寺
(元々は、陶弘房を弔うために夫人が建立した安養寺で、のちに瑠璃光寺と改称)で、これが現在の瑠璃光寺だとのこと。

(同上)
 塔の上にひとひらの白雲。と来れば・・。
ゆく秋の 長門の国の 瑠璃光寺の 塔の上なる 一片の雲 (偐信綱)
(本歌)ゆく秋の 大和の国の 薬師寺の
         塔の上なる 一ひらの雲 (佐々木信綱)
 寺の本堂に向かおうとすると、中門前に人の群れ。
 黒い霊柩車らしき車が参道に停車している。

(同上・告別式?)

(同上)
 大勢のお坊様が立ち並び始めました。
 お葬式の感じでもない雰囲気。

(同上)<参考>​晋山結制法要解説
 見ると、「保寧山瑠璃光寺四十八世晋山結制式」と書かれている。
 黒い車が霊柩車かと、早とちりしてお葬式を連想してしまったが、そうではなかった。
 晋山結制式というのは、その寺の住職の就任式のようです。
 お坊さんが立ち並んで居られるのは、晋山結制式が無事に終了し、その最終段階のプログラムである記念写真を撮るためのもののようです。
 まあ、何にしても、まさにお取込み中。寺院の拝観はできそうもないので公園内をブラブラ。

(同上・大内弘世公像)<参考>​大内弘世​・Wikipedia
 寺の前にあったのは大内氏24代当主・大内弘世の騎馬像。
 弘世は前述の義弘、盛見らの父親である。
 台座の説明碑によると、山口を、京都に倣った都市計画に基づく市街整備を行い、後の大内文化に繋がる基礎を築いたとして、此処に像が建立されたのであろう。
 しかし、近年の発掘調査では、弘世の時期は、山口市の現在の市街地からは南東に外れた大内御堀地区に本拠地を置いたままであったようで、山口市の都市化を示す遺物で弘世期まで遡るものは見つかっていないとのこと。
 尤も、前頁で触れた白狐伝説が現れたのは弘世公の時代のこととされているらしい。

(同上・説明板)
 公園のベンチで一休み。
 正面に五重塔が見える。

(香山公園)
 左に視線を移動させると、背後の山、香山の山頂、稜線が見える。
 万葉集では、香具山を香山と表記するものもあったように記憶するが、ここの香山は「こうざん」と読むようです。
 であれば、枕草子の「香炉峰の雪やいかに・・」なども思い出されるのであるが、雪も簾もなき公園のベンチ。遺愛寺ならぬ瑠璃光寺の鐘も鳴る気配がないから、千切れ雲のひとつ、ふたつ流れゆくも見む、であります。

(香山)
 振り返るとこんな建物がありました。

(枕流亭)
 説明碑を読むと、薩長連合の密議がこの建物の2階で重ねられたのだということらしい。
 この場所にあったのではなく、山口市内道場門前の一の坂川の流れにのぞむ河畔にあったのが何度か移築され、昭和35年(1960年)に此処に移築されたもの。

(同上・説明碑)
 漱石枕流の枕流であるが、夏目漱石は漱石を採用し、薩長連合は枕流を採用したのであるか。
 尤も、枕流亭は、山口の旧家、安部家の離れであったそうだから、安部家の当主の命名であるのかも。間違いを指摘されてもそれを認めず屁理屈こねてでも言い返すというのは、政治家には不可欠の資質のようだから、薩長連合の密議には相応しい名前かも。そう言えば、安部と安倍で一字異なるが、安倍ナントカという元首相もその資質は十分にありましたね。

(同上・1階内部)
 内部には自由に入れるよう。
 1階の部屋には、薩摩の大久保利通や長州の木戸孝允など、密議を重ねたという面々の写真が並べられている。

(同上・2階内部)
 2階に上がってみると、二間続きの部屋。
 部屋からは、正面に五重塔が見える。
 五重塔を眺めながら話を進めていたのか、と一瞬思ったが、この建物は当時はここに建っていたのではないことに気付き苦笑。

(同上・2階からは正面に五重塔)
 五重塔のある入口近くの、ボランティアガイドの皆さんの待機所テントの近くにトレンクルを駐輪させていただいていたので、其処に戻って、銀輪散歩再開であります。
 トレンクルで下り坂道を快走。その所為もあったか、洞春寺を通り過ぎてしまう。
 国道9号に出て右折、南西に進むと山口県庁の前に出た。

(山口県庁)
 クラシックな建物が目に入ったので、門の中まで少し入って外観だけ撮影です。説明碑をよく見ると一般に公開されているようだったが、その時はそれに気付かず、中也銀輪散歩という自縛もあったか、内部見学ということまで考えが及ばずでありました。

(同上・旧県庁舎と県会議事堂説明碑)
 こちらは、旧県庁舎。

(同上・旧県庁舎)
 こちらは、旧県会議事堂。

(同上・旧県会議事堂)
 県庁舎から南西に更に進むと旧山口藩庁の門。

(山口藩庁門)

(同上・説明碑)
 道なりに進むと、山口歴史民俗資料館の建物の前に出る。
 これが46年前に訪れた、中也展が開催されていた建物かとしばらく眺めてみたが・・。
 道路からエントランスまでの距離がかなりあり、立派な建物である。道路脇スグのところに建物があって、建物ももっとチャチな感じであったように記憶するので、やはり、ここではないなというのが、その時の結論でした。帰宅して、その時の展示目録を見つけたことで、歴史資料館での開催であったことに間違いないことが判明したので、今は記憶の方を修正にかかっているのであるが、漱石枕流よろしく、歴史民俗資料館の建物は建て替えられたのではないのか、と自身の記憶が間違いではないことの理屈を考えてもいるので、往生際が悪いのであります。
 県庁西門口交差点を南に下ると、ザビエル記念聖堂進入口の前の道路である。
 そこで、山口大学教育学部付属中学校という標識が目に入ったので、その方向に道を入ってみる。実は「中学校」を「小学校」と見間違っていたのである。

(山口大学教育学部付属中学校)
 先に述べたように、中也は下野令小学校から山口師範付属小学校に転校している。それは現在の山口大学教育学部付属小学校のことである。
 山口師範付属小学校の跡地ということを示すものを撮影できなかったので、その後身である小学校の写真でも撮って置くかと思っての寄り道であったのだが、門の前に立って、中学校であることに気付き、またも苦笑である。山口大学教育学部付属小学校は既に通り過ぎていて、坂の上である。
 ということで、引き返すことはせず、でありましたので、ウィキペディアの写真を転載させていただきます。

(山口大学教育学部付属小学校 ウイキペディアより転載)
 山口市役所前から、国木田独歩が通っていたという小学校の後身である白石小学校の横を通り、錦川通りへ繋がる、往路の道(「権現通り」というらしい。)を帰ることとする。
 中原中也の詩碑と山頭火の句碑が並んでいる地点の少し手前、防長苑という旅館のある角で、広い通り
(「ふれあい北通り」というらしい。)を左折、南東に進むと湯田温泉1丁目交差点。交差点を渡り(交差点を渡った先からは「ふれあい南通り」と名が変わる。)
150mほど行くと右側に湯田幼稚園がある。此処が下野令小学校跡地だとのこと。中也が山口師範付属小学校に転校するまで通っていた小学校である。

 その後身である現在の湯田小学校は、この道を「ふれあい北通り」の方へ500mほど戻ったところにある。

(湯田幼稚園 旧下野令小学校跡地)
 下野令小学校のあったこの場所は、中也の生家である中也記念館の場所からは、5~600mくらいであるから、子どもの足でも徒歩7~8分の距離である。
 本日の中也銀輪散歩はここまで。
 続きは明日です。(​つづく​)
​​​
<参考>銀輪万葉・​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​中国、四国篇は​コチラ​。​

​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​






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最終更新日  2022.11.18 22:33:13
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