カテゴリ:銀輪万葉
(承前)
前頁記事の続編。万葉の小径の万葉歌碑、残り14基を紹介します。 (万葉歌碑23 ほほがしは ホオノキ) わが背子が 捧げて持てる 厚朴 あたかも似るか 青き蓋 (万葉歌碑24 ねぶ ネムノキ) 昼は咲き 夜は恋ひ寝る 合歓木の花 君のみ見めや 戯奴さへに見よ 傍らのネムノキから花が散り落ちていました。 昨日は咲き 今日は散りぬる 合歓木の花 雨に濡れても 歌碑をし飾る (万葉歌碑25 ゆずるは ユズリハ) 古に 恋ふる鳥かも ゆずるはの 御井の上より 鳴き渡り行く (万葉歌碑26 あふち センダン) 妹が見し 楝の花は 散りぬべし わが泣く涙 いまだ干なくに (万葉歌碑27 つばき ヤブツバキ) 巨勢山の つらつら椿 つらつらに 見つつ思はな 巨勢の春野を 河上の つらつら椿 つらつらに 見れども飽かず 巨勢の春野は (万葉歌碑28 つまま タブノキ) 磯の上の 都万麻を見れば 根を延へて 年深からし 神さびにけり (万葉歌碑29 しらかし シラカシ) あしひきの 山道も知らず 白橿の 枝もとををに 雪の降れれば (万葉の小径・終点の緑地) ポケットパークと表現するのが似合いの小さな緑地であるが、神功四丁目第2号緑地というのがその名称であるらしい。 東側の石のカラト古墳の方角からこの小径に入って来たので、そこを始点、こちらを終点としましたが、どちらを始点とするかは、その人の視点次第ですから、どちらを始点、終点とするかは、人それぞれであります。 記述の便宜上、当記事ではこちらを終点として続けます。 (万葉の小径案内図) こちら側にも始点にあったのと同様の案内図の碑があります。 此処には7基の万葉歌碑がある。 (万葉歌碑30 はねず ニワウメ) 夏まけて 咲きたる唐棣 ひさかたの 雨うち降らば うつろひなむか (万葉歌碑31 さきくさ ミツマタ) 春されば まづ三枝の 幸くあらば 後にも逢はむ な恋ひそ我妹 (万葉歌碑32 うめ ウメ) わが園に 梅の花散る ひさかたの 天より雪の 流れ来るかも (万葉解説碑・万葉人の時代) 万葉人の時代と題された解説碑の陶板であるが、無残な姿になっている。 自然劣化でこのようになるとは思えないから、ボールとか小石とかを度々投げつけるという馬鹿な行いをした人間が居たようだ。 単なる愚行ではなく器物損壊という犯罪行為。いったい誰がこんなことをしたのかであるが、何ともはや、であります。 この園の 万葉陶板 割れてあり 何処ぞの馬鹿の なしたることか (怒家持) 気を取り直して、残4基の万葉歌碑を拝見しましょう。 (万葉歌碑33 もも モモ) 春の苑 紅にほふ 桃の花 下照る道に 出で立つをとめ (万葉歌碑34 すもも スモモ) わが園の 李の花か 庭に降る はだれのいまだ のこりたるかも (万葉歌碑35 なし ナシ) 露霜の 寒き夕の 秋風に もみちにけりも 妻なしの木は (万葉歌碑36 なつめ ナツメ) 玉掃 刈り来鎌麿 室の樹と 棗が本と かき掃かむため お気に召した歌はありましたでしょうか。 また、万葉のお勉強の参考になりましたでしょうか(笑)。 概ねランチタイムになっていましたので、4月の時のように西大寺駅方向に走ることはせず、高の原駅へと引き返すことに。 ということで、今度は歌碑ではなく、小径の草花や虫などにも注目しつつ、始点へとブラブラ歩き。 高の原駅から石のカラト古墳へは上り坂でありましたから、帰路は下り坂であります。楽々と高の原駅前に到着。イオンモール高の原の駐輪場にトレンクルを駐輪して、2Fのレストラン街で昼食。 昼食後、トレンクルで、エゴノキ第一歩道橋を渡り、向かいの土師山公園で煙草休憩。タンポポではなくひょろりと背丈の高いブタナがユラユラと風に揺れていたりもしました。 帰宅してから調べたところによると、この歩道橋が通っている道はエゴノキの道という名前で、歌姫公園や音浄ヶ谷公園に通じているのでありました。 高の原駅から電車で帰途に。大和西大寺駅で急行に乗車。最寄り駅の枚岡には急行が停車しないので、石切駅で乗り換えとなる。各駅停車の電車を待つよりは、とそのまま石切駅で下車、馴染みの喫茶店である「ペリカンの家」で珈琲をと坂道を下り、喫茶店へ。ペリカンの家、花園中央公園寄り道で、少し走り足りなかった今回の銀輪散歩の帳尻を少しばかり合わせることとしました。 以上で、銀輪万葉・「石のカラト古墳&万葉の小径」記事、全4部完結であります。(完) <参考>銀輪万葉・奈良県篇の過去記事は下記参照。 銀輪万葉・奈良県篇(その2) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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