偐万葉田舎家持歌集
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(承前) 前頁記事の続編です。 近鉄大和八木駅前のうどん屋で昼食を済ませ、耳成山公園に向かう。 (耳成山公園への西側進入路付近から眺める耳成山) 耳成山公園を訪れるのは、2021年4月8日以来であるから、約2年5ヶ月ぶりのことになる。この時は、醍醐池畔の桜とその北側に広がる菜の花畑を眺めるのが目的であったので、耳成山には登っていない。 <参考>飛鳥川銀輪散歩(その1) 2021.4.10. (耳成山公園) 今回も、公園に立ち寄るのみで、耳成山には登らない。 直近で耳成山に登ったのは、2013年3月であるから、もう10年以上も前のことになる。 <参考>大和三山銀輪散歩 2013.3.23. 今回は、「またも大和三山銀輪散歩」というタイトルなのに、耳成関係の写真が上掲の2枚だけなので、これらの過去記事掲載の写真の一部を再掲載して補足することとします。 (耳成山登山口2021.4.記事) (耳成山山頂2013.3.記事) 耳成山山頂は、眺望がきかない。と言っても、10年も前のことなので現在もその通りなのかどうかは不明(笑)。 公園の南側は池になっていて、池の畔に万葉歌碑がある。 耳無しの池にまつわる蔓児伝説の歌であるが、この日は一人の男性が、その歌碑の台石に足を乗せたり降りたりの運動を長々とやって居られて、撮影ができず、諦めました(笑)。その歌碑と歌がこれです。 (耳無しの池万葉歌碑2021.4.記事) ーーー以下は2021.4.10.記事より引用ーーー <参考>万葉ウオーク下見(6)・醍醐池から耳成山公園まで 2012.10.24. 無耳みみなしの 池し恨めし 吾妹子が 来つつ潜かづかば 水は涸れなむ (万葉集巻16-3788) <耳無しの池は恨めしい。私のいとしいあの娘(かづらこ)がやって来て水の中に入ったなら、水は涸れて欲しかったのに。> 鬘児伝説というのは、三人の男から求婚された鬘児という女性が、池に身を投げて死んでしまうという話であるが、詳しくは上記<参考>の記事をご参照ください。 彼女の死を知って、男の一人が詠んだ歌が、上記の歌である。 ーーー ーーー ーーー (ルート地図7・大和八木駅~耳成山公園~藤原宮趾~天香山神社) 耳成山公園を出て、近鉄線の踏切へと向かっていて、目にとまったのが、セスジスズメの幼虫。 (セスジスズメの幼虫) 写真に撮ろうとして自転車を降りると、幼虫は道路脇の草むらに隠れようとしているところ。全身を写そうと木切れを拾って、道路側に掻き出すと、U字の形に固まってしまった。こうなると暫くは仮死状態が続くので、万事休すである。 (同上) セスジスズメというのはスズメ蛾の仲間。大型の蛾である。 何度か目にしているので、その写真を掲載している記事を参考までに貼って置きます。 <参考>銀輪虫散歩・蛾と蝶と超小型の蝉 2020.6.15. セスジスズメと再会 2020.6.23. セスジスズメとミノムシ 2020.7.18. さて、先へと進みます。 醍醐の集落を過ぎ、醍醐池へ。 (醍醐池北側の畑道から畝傍山を望む) 此処は、春には一面の菜の花畑となる。 桜との競演がいい風情を醸すのであるが、今は「夏草繁き・・」の何と言うこともない野原である。 それでも、遠くに畝傍山を配すれば絵になるところが「そらみつ大和」であります。 (醍醐池畔の道2021.4.記事) (持統天皇万葉歌碑2021.4.記事) 醍醐池南東の畔に犬養先生揮毫の持統天皇万葉歌碑がある。 この歌碑は香具山が一望できる位置に建てられているが、写真的には背後の木が邪魔をしている所為で「一望」にやや欠けるのが「失望」であると言うべきか。 ということで、道路を渡り、藤原宮趾に入ってから香具山を撮影。 (藤原宮趾から香具山を望む) 今回、唯一登る予定にしている山。 香具山へと向かいますが、大和三山と言えば、つま争いの三山の歌と共に外せないのが「藤原御井の歌」であろう。 既に何度か記事に掲載しているが、藤原宮からの三山の眺めを雄大に歌い上げているいい歌であるから、再度掲載して置くこととする。 やすみしし わご大君おほきみ 高たか照てらす 日の皇子みこ あらたへの 藤井ふぢゐが原に 大御門おほみかど 始はじめたまひて 埴安はにやすの 堤つつみの上うへに あり立たし 見めしたまへば 大和の 青あを香具山かぐやまは 日の経たての 大おほき御門みかどに 春山はるやまと しみさび立てり 畝傍うねびの この瑞山みづやまは 日の緯よこの 大き御門に 瑞山と 山さびいます 耳梨みみなしの 青菅山あをすがやまは 背面そともの 大き御門に よろしなへ 神かむさび立てり 名ぐわしき 吉野の山は 影面かげともの 大き御門ゆ 雲居くもゐにそ 遠くありける 高たか知しるや 天あめの御陰みかげ 天知あめしるや 日の御陰の 水こそば 常つねにあらめ 御井みゐの清水すみみづ (巻1-52) この歌の現代語訳は、2012年10月23日の記事に掲載しています。 また、2015年4月18日の記事には、藤原宮跡からの大和三山及びはるか南の吉野の山々の眺めを撮影した写真と共にその部分に該当する句を掲載していますので、併せご参照ください。 奈良文化財研究所の前を通り、哭澤ノ杜にちょっと立ち寄り、蚊に刺されて早々に退散。 (哭澤ノ杜万葉歌碑) この歌碑の写真も過去記事に掲載して居り、歌意やナキサハメのことなども記述しているので、下記<参考>記事を参照いただくこととして、歌碑の歌のみ記して置きます。 哭澤なきさはの 神社もりに神酒みきすゑ 祈れども わが大君は 高日知らしぬ (桧隈女王ひのくまのおほきみ 万葉集巻2-202) <参考>万葉ウオーク下見(4)・哭澤の杜から藤原宮まで 2012.10.22. (畝尾都多本神社<哭澤ノ杜>) 哭澤の杜の南隣は奈良文化財研究所である。 ここの資料展示室は入館無料で見学できるが、今回はパス。 奈良文化財研究所資料室やこの後パス通過する八釣山埴安伝承地道の碑、八釣山興福寺、畝尾坐健土安神社などは下記記事をご参照ください。 <参考>万葉ウオーク下見(3)・古池から奈良文化財研究所まで 2012.10.21. 香具山は天香山神社の参道脇から登ることとし、神社へと向かう。 北側からのアプローチの場合は、神社西側の池の北東隅にある地蔵堂のようなお堂の脇から池伝いの小径を通って、神社拝殿へと横入りするのが通例であるが、このお盆の時期の台風関連の大雨ででも池へと土砂崩れが起きたのであるか、小径が完全に消滅してしまっていた。 池を回り込んで、西側の神社正面から神社に入ることとする。 (天香山神社) (天の香具山万葉歌碑) この歌碑の写真も過去記事に掲載済みであるので、歌だけを記して置きます。 ひさかたの 天の香具山 この夕べ 霞たなびく 春立つらしも (万葉集巻10-1812) 香具山は、藤原の宮から見て東方向。東は青であり、青は春でもあるから、香具山は春のイメージ、春山であったのだろう。 <参考>明日香・橿原銀輪散歩(その1) 2014.3.19. 参道奥に相棒のトレンクルを駐輪して、香具山へと登る。 香具山に登るのは、2018年9月以来であるから5年余ぶりになる。 <参考>ペリカンの家サイクリング・明日香篇本番 2018.9.16. ペリカンの家サイクリング下見 2018.8.27. (香具山山頂から望む畝傍山) 山頂に到着すると、虫網を2本持った男性が居られた。 蚊取り線香を焚いて居られたから、かなり長くとどまって居られるのだろう。「何か珍しいものがやって来ないかと・・」と仰っていたが、虫取りも「好きこそ何とやら」で忍耐、辛抱厭わずのようです。 (香具山山頂・国常立神社2018.8.27.記事) 香具山を下山。 奈良文化財研究所の南側、香具山西側登山道へと続く道の脇に、休憩所がある。此処で小休止。 此処は2018年9月のペリカンの家サイクリングの折にお弁当タイムとした場所でもある。 (香具山西麓の休憩所2018.8.27.記事) (ルート地図8・天香山神社~香具山山頂~朱雀大路跡の碑~橿原神宮前駅) ※――線:藤原宮跡→香具山山頂往路コース ――線:香具山山頂→橿原神宮前駅復路コース 香具山西麓の休憩所を出て、南へ進んで最初の辻を右折し、西へ。 藤原宮趾が右手真正面に見える処にあるのが朱雀大路跡の碑。 この碑の写真も2018年8月27日の記事に掲載済みであるが、今回も撮影したので重ねて掲載です。 (藤原京・朱雀大路跡の碑) 碑の付近で北方向を見やると、藤原宮趾が真正面に見え、その奥の耳成山は、「耳梨みみなしの 青菅山あをすがやまは 背面そともの 大き御門に よろしなへ 神かむさび立てり」と見えている。
(朱雀大路跡の碑付近から藤原宮趾・大極殿、耳成山を望む) 朱雀大路跡の碑から西へと直進し、飛騨町交差点で飛鳥川を渡る。 最後に、畝傍山の写真を撮ってと思っているうちに、山に近づき過ぎていて、ビュウポイントを過ぎてしまっていたよう。 そんなことで、上掲の耳成山の写真がこの日最後の写真となってしまいました。 (飛騨町交差点2018.8.27.記事) 上の写真は、飛鳥川畔から東方向を見て撮ったもの。左手奥の手前に見えている屋根越しの低い山が香具山である。この日は写真奥の道からこちらへと走って来たということになる。 この道を西進すると、神武天皇陵参道入口の少し北側に突き当たる。 突き当たって左折、神武天皇陵参道入口を過ぎると、橿原神宮北参道の鳥居である。この参道の奥に入ると畝傍山への登り口があるのだが、今回はパスして、橿原神宮前駅へ直行。 (畝傍山山頂・畝火山口神社社殿跡の碑2013.3.23.記事) <参考>大和三山銀輪散歩 2013.3.23. 最後に、大和三山つま争いの万葉歌で、銀輪散歩の締めといたします。 香具山は 畝火ををしと 耳梨と 相争ひき 神代より かくなるらし いにしへも しかなれこそ うつせみも つまを 争ふらしき (天智天皇 万葉集巻1-13)
以上で、大和三山銀輪散歩終了です。(完) <参考> 過去の銀輪万葉・奈良県篇は下記参照 銀輪万葉・奈良県篇(その1) 2007年4月~2019年2月 銀輪万葉・奈良県篇(その2) 2019年3月~ <追記注:2023年9月15日10:19> 藤原の御井の歌の末尾の「清水」にルビを付加。
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プロフィール
けん家持
養老2年(718年)の生まれゆゑ、年令1306才(養老元年生れ説だと1307才)。銀輪歌人、偐家持(ニセヤカモチ)。若草の里の読書会に屯しています。時に「まっ黒の走子」。時に「偐定家」。時に「筆蕪蕉(不精者)」であります。また、時々は偐家持美術館のヤカモチ館長でもあります。自転車(銀輪)であちらこちらを気ままに散歩し、花を愛でたり、虫と遊んだり、万葉調の歌(と言っても大抵は戯れ歌)などを作ったりしています。
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