カテゴリ:銀輪万葉
(承前)
ホテルをチェックアウト。前日回れなかった、さきたま古墳公園の南側エリアの古墳に向かう。 (さきたま緑道入口の自販機) ホテルを出て県道77号を左へ。武蔵水路に架かる野合新橋を渡ってスグのところに水路沿いを南へと続く緑道の入口があった。 その入り口にあった自販機は、稲荷山古墳出土の金錯鉄剣に刻された漢字を散りばめた図柄になっていて、いかにもこの地らしいデザインである。 緑道は「さきたま緑道」とある。全長4.5kmで、JR高崎線・北鴻巣駅前の鴻巣市赤見台近隣公園まで続いているようである。 (さきたま緑道案内図)<参考>さきたま緑道 歩行者、自転車専用の道で、往復9kmであるから、レンタルのママチャリでなければ、迷うことなくこの道を走っていたと思うが、少し様子を見ただけで、古墳公園南エリアへと向かいました。 先ず、奥の山古墳へ。 (奥の山古墳) (同上・説明碑) 次は、中の山古墳。 (中の山古墳) (同上・説明碑) 中の山古墳の説明碑の近くに生えていたのはナラタケだろうか。こんなキノコがあちこちに群生していた。 (ナラタケ) そして、鉄砲山古墳。 (鉄砲山古墳) 説明碑のある位置からは、木々が邪魔して全体像が撮影できない。 (同上・説明碑) 右に回り込んだアングルから撮影したのが下掲の写真。 (同上) 鉄砲山古墳に沿った細道を辿ると、墳丘の反対側に出た。 そこは、前日に前玉神社へと向かう際に、間違って一つ手前の道を右折した時に立ち入った場所であった。その折に撮った写真が下掲の写真。 上掲の写真の撮影位置とは墳丘のほぼ反対側の位置になる。 (同上) ここから、県道77号道路に出て観光物産館さきたまテラスの方向へとママチャリを走らせてしまったので見ることは出来なかったのであるが、公園内の道を西へと走っていたら、埼玉県の県名発祥の碑があったようです。 <参考>観光物産館さきたまテラス (さきたま古墳公園正面入口) 上は、観光物産館さきたまテラスの側から前日に撮った公園入口前の写真であるが、この物産館は何故か県道77号道路と公園入口に背中を向けて建てられている。 道路・公園側から見て裏になるこの建物の表に回ってみた。 ホットコーヒーを注文し、店の前のテラス席で暫し休憩。 さきたま古墳公園はこれで切り上げることとし、行田市駅方向に戻ることにする。 途中、こんなものを見かけました。 (割役庄屋表門) 割役庄屋という言葉は初めて目にするが、数か村から10数か村の範囲を管轄する役職である大庄屋を大名主、割元、大肝煎、十村、郷頭、割番庄屋などとも呼んだそうだから、大庄屋という意味のようです。 (同上) (同上・説明碑) 行田市駅近くの足袋とくらしの博物館の東側に代官所趾の碑があった。 写真左に写っている建物が足袋とくらしの博物館である。 (代官所の碑) 裏面を見ると「忍一の五番北東の一角は、忍藩一万代官と御蔵役代官の詰所で、山方代官は服部、松岡、野間等十一人、普請御蔵役は篠田、別所等九人であった。役宅は東町裏にあって、代官町といっていた。代官所は後に奥御医師筆頭岸田宗泉の診療所となった。」と書かれているが、イマイチよく分からない文章である。 (同上・裏面) 鳥居を潜って、奥の道路に出てみると、足袋とくらしの博物館の正面に出たが、この日は定休日で、博物館は閉じられていました。 (足袋とくらしの博物館) 前日にやり過ごした水城公園へと向かう。 広い公園である。 自転車での乗り入れは禁止である旨の標識表示。公園内は押して歩けとのことである。自転車を押しながらブラブラと公園内を散策。 (水城公園) 忍城の堀の名残りでもあるか、大きな池の畔に出る。 釣りを楽しむ人の姿も。 よく晴れた暑い日であったので、木陰で休もうとするが、ベンチのある木陰はどこも先客ありの状態。ようやく見つけたのは大きな切り株がある木陰。池からは少し離れているが、池を見渡せる位置にあって、眺めも悪くないので、ここで暫く休憩とする。 上の写真にも写っているが、左手に目をやると赤い実をつけた樹高2m余の低木が目に入った。 (ウメモドキ) 何かと近づいて見るとウメモドキの木であった。 赤い実が鈴なりに生るの中、小さな花もまだ咲き残っている。 (同上) しばし、ウメモドキの実と遊ぶ。 (同上) (同上) ウメモドキにも飽きて、池越しに右手前方に見える古い洋風の木造建築物が気になったので、これを見に行く。 (旧忍町信用組合店舗) この建物は、大正11年(1922年)8月6日に行田市行田13-31の地に開店した忍町信用組合の元店舗だそうな。現在は、寄贈を受けて市の所有となっていること、市の指定文化財になっていること、Vert Cafeという名のカフェとして公開・再活用されていること、などを下掲の説明碑から理解したのだが、走り読みであったので見学には事前予約が必要と誤解してしまったので、外観を遠望したのみで立ち去りましたが、今よく読んでみると、カフェが営業中の時は随時、休業日は事前予約すれば内部を見学することができると書かれている。 遠目には人影もなく営業している雰囲気には見えなかったが、それは文化財ということで、喫茶店などのように幟旗を立てて営業していることを示すことは敢えてしないということであったのかも知れず、営業していた可能性も否定できない。 (同上・説明碑) 再び、忍城バスターミナル、行田市役所の前を通り、諏訪神社・東照宮へと向かう。手元の簡略地図に東照宮という文字が記載されていたので立ち寄ってみようと思ったに過ぎない、まあ、時間潰しの立ち寄り先であります。 市役所前の交差点から西へ300mほど行ったところにそれはあった。 (諏訪神社・東照宮) (同上・拝殿) 拝殿の左側柱には家康の言葉、右側柱には明治天皇御製歌が掲出されていた。 (同上・拝殿左側柱) 勝つ事ばかり知りて負くることを知らざれば害その身に及ぶ 己をせめて人をせむるな 家康公処世訓 (同上・拝殿右側柱) 朝宵に 物くふごとに 豊受の 神の恵みを 思へ世の人 明治天皇御製 (同上・説明碑) 諏訪神社・東照宮のある場所は、行田市郷土博物館と道路を挟んで北側に隣接する位置にある。下掲の忍城鳥瞰図に示されている現在地が諏訪神社・東照宮の位置であるから、ここもかつての忍城本丸の一部であったということになる。 (忍城鳥瞰図) (諏訪の大木) 忍城バスターミナルまで帰って来ると「忍城十五門之内 沼橋御門跡」と刻された樋が、バス停脇にありました。 上掲の忍城鳥瞰図には、右端中央にこの門が描かれている。 (忍城沼橋御門跡の碑) 既に正午を過ぎている。 足袋とくらしの博物館から広い通りに出た角に行田市商工センターのビルがあり、その1階の店舗の前に、ラーメンだったかうどんだったか、何やらそのような旗が何本か立ち並んでいたのを見たので、そこで昼食をと行ってみたら、飲食を提供する店ではなく食品や名産品などを販売している店でありました。紛らわしい旗を立てるなと思ったが、こちらの誤解なのだから仕方がない。 忍城バスターミナル方向に戻りつつ、飲食店を探す。 何のことはない、バスターミナルの道路反対側にランチのできる店がありました。 そこでランチを済ませ、忍城バスターミナル観光案内所で、レンタルしたママチャリを返却、駅前へとブラブラと散歩がてら帰ることに。 (田山花袋「田舎教師」ゆかりの料亭の碑) 紛らわしい旗の店の東隣のコンビニ駐車場の前に、「田山花袋 田舎教師 ゆかりの料亭」という石碑がありました。 田山花袋の小説は読んだことがないので、田舎教師という小説も未読。とあれば、なにという感想もなし、であります。 (行田市駅近くの中央児童公園の猫) 帰りの列車の行田市駅発車時刻は15時20分 少し時間が早いので喫茶店でもあればと回り道してみたが、喫茶店は見つけたものの「本日定休日」の表示。 仕方がないので、向かいの公園のベンチで休憩。 その公園に居たのが、この猫。 行田市駅前到着。 何のことはない、駅ホームとの連絡橋へと上る階段の前に珈琲ショップがあるではないか。しかし、もう喫茶店でゆっくりするほどの時間の余裕はないので、改札を入り、ホームへと向かう。 (秩父鉄道行田市駅・熊谷駅方面) (同上・羽生駅方面) 15時20分発の電車が入って来ました。 これに乗って帰ります。 電車に乗り込むと中吊り広告にて、この線では自転車をそのまま車内に持ち込めるというようなことが書かれていて、おっと思ったが、行田市駅はその対象ではないようでした。 <参考>ちちてつサイクルトレイン 高崎から出ている上信電鉄や関西では近江鉄道などでも同様の乗り方ができるようだが、ヤカモチはまだ実際に利用したことはない。 熊谷で新幹線に乗り換えである。ということで、以上を以って、行田市銀輪散歩終了とします。(完) <参考>銀輪万葉・関東編の過去記事はコチラ。 (注)掲載写真について、フォト蔵の特大サイズ写真とのリンクは貼りましたが、フォト蔵の不具合は未だ解消されていません。よって、写真画像をクリックしても特大サイズ写真は表示されません。不具合が完全に解消するまでお待ちください。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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