カテゴリ:銀輪万葉
11月7日、只見線に乗って来ました。友人の岬麻呂さんからの東北紅葉旅便りに触発されたのと六角精児氏の只見線「呑み鉄」とかなんとかというTV番組をたまたま見たのが重なって、只見線の車窓から紅葉を楽しもうという気になって、ヤカモチも思い付きの旅にと出かけた次第。
新潟まで飛行機で行き、新潟から上越新幹線で浦佐まで出て、浦佐駅から上越線で小出駅へ。小出駅から只見線で会津若松駅へというのがそのルート。 浦佐駅到着が11時丁度。11時01分発の長岡行きが出た後で、次の電車は12時47分発。 (浦佐駅・西口)<参考>浦佐駅・Wikipedia 待ち時間が1時間45分余もあるので、ここで昼食を済ませてしまおうと、駅の東口に出てみたが、目に入った何とかという名のレストランは「本日定休日」。見える範囲に飲食のできそうな店は見当たらない。仕方がないのでコンビニでおむすびやコロッケなどを買って、駅の待合休憩室でこれを食べることとする。 東口には田中角栄氏の銅像が建っていましたが、撮影はせず。 食後のホットコーヒーは駅構内のコンビニで調達。 外に出てマンホールを撮影したり、駅の窓から西方向の景色を撮影したりして時間を潰す。 (浦佐駅から西方向の景色) (同上) 発車時刻までまだ30分もあったが、ホームに入って待つこととする。 改札口は2階にあり、3階が新幹線ホーム、1階が在来線ホームになっている。駅の待合室やコンビニは2階にある。 (上越線・浦佐駅ホーム) 在来線ホームに降りると小さな待合室があった。 男性が一人先客で坐って居られたが、中に入ると暖房されているようで、むっとした暑さで、とても長くは居られない。すぐに退出し、ホーム前方に移動。するとベンチがあったので、そこで待つこととする。 やがて、他の乗客もホームに降りて来られ、10名余の人数となる。 長岡行きの普通電車がやって来て乗車。次の駅が八色駅で、その次の駅が只見線の始発駅となる小出駅である。 浦佐駅前で撮影したマンホールには西瓜の図柄があしらわれていたが、八色西瓜(やいろすいか)がこの地の特産として有名なんだろう。 浦佐から小出まで上越線は魚野川を右に見て川沿いを北上する。 12時56分小出着。1番ホームから只見線である4番ホームに移動。結構な人が下りて、その多くが4番ホームへと急ぐ。走っている人も居る。ヤカモチもつられて急ぎ足となる。 4番ホームには既に列車(といっても2両編成)がとまっている。 (小出駅・只見線ホーム・会津若松行き) <参考>小出駅・Wikipedia 幸い1両目の前方右側の席に坐れましたが、満席で立っている男性も一人二人は居られたかと。 参考までに各駅の発車時刻を示すと次の通りです。 (小出駅発13時12分列車の各駅発車時刻) <参考>只見線・Wikipedia 上の一覧表をご覧いただければお分かりのように、小出から会津若松まで実に4時間12分の列車旅という次第。 鉄道愛好者のうち、列車に乗ることを楽しむタイプを「乗り鉄」というらしいが、ヤカモチは勿論「乗り鉄」ではない。 しかし、今回はその「乗り鉄」もどきになってみようという訳である。 13時12分定刻に発車。 発車してすぐに魚野川を渡り、次駅の藪神駅を過ぎると、魚野川の支流である破間川を渡り、この先大白川駅の先までこの破間川に近づいたり離れたりしつつ北上。 (藪神~越後広瀬間) 家並みの背後の山のどれかが平地山で、奥に山頂が少しだけ見えているのが上権現堂山であるのだろう。 (同上) 車窓のガラス越しの撮影なので、画像は不鮮明でイマイチ。 肉眼だとそこそこの紅葉景色であるのだが、写真にして見ると冬枯れのごとき景色である。 どんよりした曇り空であることがそれに輪をかけ、写真写りが更にも悪くなる。 (同上) (越後広瀬~魚沼田中間) 車内が異常に暑い。座席下から暖房の温風が吹き出しているではないか。 上着を脱ぎ、シャツを腕まくりするが、それでも暑く、汗が出て来る。 向かいの席の乗客も上着を脱ぎ出している。 車掌に暖房を切るよう苦情を申し立てる。 「調節します。」との返事。 調節するではないだろう、すぐに暖房を切れと思ったが、口には出さず席に戻る。 しばらくすると座席下からの温風が出なくなったので、すぐに切ってくれたようだ。 (上条~入広瀬間) (同上) 上の写真2枚などは、車窓に映っている車両内の蛍光灯が写ってしまっていて、写真のていをなしていないが、敢えて掲載して置きます。 大白川駅で少し長い停車時間。 ホームに出て涼しい風に当たる。 窓が開けられない構造になっているので、暖房を切っても車内の温度が下がるまで時間を要するのである。 (大白川駅)<参考>大白川駅・Wikipedia 駅ホームからの写真だと紅葉も美しく写る 大白川駅を出ると、短いトンネルに入る手前付近から破間川と別れてその支流になる末沢川に沿って走ることになる。 只見線は只見川に沿って走る線路かと思っていたが、それは只見駅から先の福島県側のことであったのですな。 大白川駅と只見駅との間に長いトンネルが二つあり、大白川側のトンネルが六十里越トンネルで、只見側のトンネルが田子倉トンネルである。 六十里越トンネルの中間の何処かが新潟県と福島県の県境となる。 ということで、気づかぬうちに新潟県から福島県に入ったことになる。 六十里越トンネルを出てから田子倉トンネルに入るまでの間に数百メートルほど外に出る箇所がある。下掲の写真はその折に撮ったものであるから、写っているのは田子倉湖だと思う。田子倉ダムによってできたダム湖である。 対岸に見えるのは国道252号である。 この付近に今は廃駅となっている田子倉駅があるのだが、それは見落としたのだろうと思う。 <参考>田子倉駅・Wikipedia (大白川~只見間・田子倉湖) はい、只見駅に到着。しばらく停車するのでホームに出ることが出来る。 雨がぱらついている。 田子倉ダムの下流側にあるのが只見ダムで、そのダム湖が只見湖であるが、田子倉トンネルを出た時には既に後方になっているので、車窓からは見えない。 (只見駅)<参考>只見駅・Wikipedia 後方に見えている山は柴倉山。 (同上) (蒲生川・只見~会津蒲生間) 只見川に流れ込んでいる蒲生川の奥に見えているのが、会津のマッターホルンと言われている蒲生岳かと思ったが、地図で調べてみると、これは別の山のようです。 (同上) 右手に写っている山裾の斜面が蒲生岳のもののようです。 はい、こちらが多分、蒲生岳。 (蒲生岳・只見~会津蒲生間)<参考>蒲生岳・Wikipedia (国道252号の橋・会津蒲生~会津塩沢間) <参考>会津蒲生駅・Wikipedia 会津塩沢駅に到着。 駅名表示板に河合継之助終焉の地と書かれている。 <参考>河合継之助・Wikipedia 河合継之助は、慶応4年8月16日(1868年10月1日)、戊辰戦争で新政府軍に敗れ、会津へと落ち延びる途上、戦闘の傷による破傷風が悪化し、塩沢村の医師矢澤宗益宅にて死去している。享年41。 (会津塩沢駅)<参考>会津塩沢駅・Wikipedia 会津横田~会津越川間には伊夜彦神社があるというので、車窓からそれを撮ってみようとしたが、一瞬のことにてそれと気づいた時には、時既に遅しで、シャッターチャンスを逃してしまいました。 <参考>かねやま町に「唯一」ある島!「パワースポット伊夜彦神社」 (本名~会津川口間) <参考>本名駅・Wikipedia 会津川口駅・Wikipedia (会津水沼~早戸間) <参考>会津水沼駅・Wikipedia 早戸駅・Wikipedia 上の写真も下の写真も車内の照明が写ってしまって不鮮明。 (同上) (同上・夢幻峡の渡し) <参考>夢幻峡の渡し・Wikipedia 夢幻峡の渡し公式予約サイト 車窓の窓ガラスも曇りだして、いよいよ撮影が困難になって来た。 (早戸~会津宮下間)<参考>会津宮下駅・Wikipedia (会津宮下~会津西方間)<参考>会津西方駅・Wikipedia 以上で、写真撮影は諦めることに。 会津柳津駅では多くの人が下車して、一気に車内が空きました。 既に、午後4時半近くになっているので、暮色の気配である。 会津柳津は、翌日訪ねる予定にしているので、会津若松まで乗り続ける。 やがて車内は、下校する高校生たちの姿が多数となり、観光客がほとんどであったそれまでとは異なり、普通の通勤通学列車の雰囲気に一変。そして、すっかり暗くなって午後5時24分、会津若松駅到着であります。 会津若松には、これまで何度か来ているが、直近は、2012年9月の裏磐梯銀輪散歩の折に会津若松を通過しているから、11年ぶりということになる。今から考えると、会津若松で1泊ではなく、会津柳津で1泊した方が時間を有効に使えたのであった。(つづく) <参考>銀輪万葉・その他篇 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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