カテゴリ:銀輪万葉
(承前)
昨日(11月7日)の続きです。 会津若松駅前のホテルで一泊しての翌日が今日(11月8日)ということになりますので、以下単に「今日」ということで記事を書きます。 今日は朝、会津若松駅発7時41分の列車で会津柳津へと向かいます。 今回の旅の目的の一つは、大伴家持に因む伝説のある、福満虚空蔵菩薩霊厳山圓蔵寺を訪ねることにありました。 (会津若松駅・4番ホーム・只見線)<参考>会津若松駅・Wikipedia 会津若松駅4番ホームが只見線。反対側の5番ホームが会津鉄道会津線の列車が乗り入れるホームになっているようです。 向かいの3番ホームが磐越西線のようです。 向かいホームに喜多方行きの普通列車が入って来ました。 (同上・3番ホーム・磐越西線喜多方行きの列車) 7時18分、会津川口行き7時41分発の列車が入って来ました。 (同上・只見線7時41分発会津川口行き列車) 乗車して、磐梯山が見える側の席は左か右か頭の中の地図と照合して、右側と判断して右側の座席に座る。 (同上・5番ホーム・会津鉄道の列車) 少し遅れて会津鉄道の車両が入って来ました。 5番ホームであるが、「JR2」という表示。これはどういう意味なんでしょう。 (同上) さて、わが列車の会津柳津までの各駅発車時刻表は次の通り。 (会津若松発7:41普通列車の各駅発車時刻) <参考>七日町駅・Wikipedia 西若松駅・Wikipedia 会津若松から西若松までは南向きに列車は走るので、会津若松駅の南方向に西若松駅がある。その位置関係からは「南若松」という方が適切かと思うが、この「西若松」という名称は、会津若松駅から見てというものではなく、鶴ヶ城のほぼ西にあたるということで、お城から見ての名称のようです。 西若松駅を出ると列車は右にカーブし、西向きになって阿賀川を渡る。 列車の乗客は、昨夕と同じで、通学の高校生たちが多数。 (阿賀川・西若松~会津本郷間)<参考>会津本郷駅・Wikipedia 会津高田駅で多くの高校生が下車したが、地図を見ると会津西陵高校というのが駅の南方にあるから、その学校の生徒たちなんだろう。 この先、会津坂下駅前に会津農林高校というのがあるが、会津坂下駅着が8時19分であり、この高校に通う生徒もこの列車で間に合うから、まだ車内にいる高校生は会津農林高校の生徒ということになる。 会津高田駅まではほぼ西方向に走るが、会津高田駅を過ぎると線路は北向きにカーブする。 かくして右窓は東窓となり、東方向にある磐梯山が見えて来る筈。 (ススキと磐梯山・会津高田~根岸間) <参考>会津高田駅・Wikipedia 根岸駅(福島県)・Wikipedia 磐梯山が見えて来ましたが、山頂は雲の中であります。 この先、会津坂下駅の手前で線路が西向きにカーブするまでは磐梯山が車窓に見えるのだが、雲が晴れる気配はなく、往路はずっとこんな風に山頂は雲に隠れたままでありました。 新鶴駅、若宮駅と過ぎ、線路が西向きに変わって磐梯山が見えなくなると、会津坂下駅である。 <参考>新鶴駅・Wikipedia 若宮駅・Wikipedia 会津坂下駅・Wikipedia 会津坂下駅からは上り坂となり、塔寺駅を過ぎトンネルを越えた辺りから下り坂となる。 <参考>塔寺駅・Wikipedia 会津坂本駅・Wikipedia 会津坂本駅付近から只見川沿いを走ることになるが、川からは少し距離があり、右手、川と線路の間には国道252号(沼田街道)が通っているので、川沿いを走っているという感じはなく、国道沿いを走っている感じ。 そして、左にカーブして列車が南向きに走ったところで目的地の会津柳津駅である。8時41分着。 <参考>会津柳津駅・Wikipedia 会津柳津駅の駅舎は、現在改築工事中で、工事用仮囲いシートに覆われていて、その姿は見えない。仮の通用口からの出入りとなる。 会津坂本駅を出てしばらくは隣の国道252号と線路はほぼ同じ高さにあったが、左にカーブする辺りから国道は線路よりもかなり低いところを通るようになるので、駅舎は国道よりも高い位置になる。従って、駅前の道も国道よりも高く、南に向かって下り坂になっている。この道は「赤べこ通り」と呼ばれているようだ。 その坂道を圓蔵寺目指して下って行く。 (福満虚空蔵尊境内案内図) 坂の中ほどに圓蔵寺の山門への参道があった。北山門である。 これは、裏山門。表山門(南山門)は坂道を下り切ったところにある。 裏から入るのがヤカモチ流であるから、ここから入ることとする。 (圓蔵寺・裏参道と北山門) (同上・北山門) 北山門を入って振り返ると、山門の向こうに只見川に架かる国道252号の柳津橋が見えている。 正面には大きなお堂。圓蔵寺の本堂、福満虚空蔵尊菊光堂である。 本堂の正面に回ろうとするが、表に回る通路がない。 本堂外縁の回廊に上がり、回廊を回って建物正面に出るというのが、裏から入って直接本堂にやって来た参拝者の、唯一の参拝ルートである。 北山門を入ってすぐの処で左に道をとり、ぐるりと大回りして本堂正面に出るというルートがあるので、本来はこのルートで行くのが裏から入った者のマナーであるのだろうが、そういう遠回りをする参拝者は居ないだろう。 目の前に大きなお堂が見えているのだから、足は自然にその方向に向かうというもの。 しかし、本堂の裏階段からお堂外縁回廊に昇って表に回っていいものかどうか迷う人もいるのだろう。お堂の壁面に「参拝者の皆さまへ。階段を上がり正面にお回りください。」と記された案内板が貼られている。 (本堂回廊からの眺め。只見川と観月橋<手前>と瑞光寺橋) 回廊からの眺めは素晴らしい。 手前の橋が観月橋。奥の赤い橋が国道252号の瑞光寺橋。 観月橋の左詰にあるのがきよひめ公園。 この公園から川沿いに下りる階段があって、それを下りると川沿いに小さな赤い橋・きよひめ橋が架かっている。その付近が天然記念物ウグイが生息する淵となっているようで、ウグイ生息地の碑が建てられている。また、その隣には竹久夢二記念碑もある。後刻立ち寄ってみる予定。 (圓蔵寺本堂・菊光堂) (霊厳山圓蔵寺縁起)<参考>福満虚空蔵菩薩霊厳山圓蔵寺 上掲の縁起によると、大同2年(807年)徳一大師開創とあり、本尊の福満虚空蔵菩薩は弘法大師の作とある。 ここで、大伴家持とは時代が合わないことに気が付く。 大伴家持が、本尊仏は行基作の尊い仏像であるから33年毎に開帳するように進言したという伝説があるのは、宮城県登米市にある柳津虚空蔵尊のことであったことを知る。 <参考>柳津虚空蔵尊(登米市)・Wikipedia まあ、いかにも偐家持らしい間違いであります。 寺の開創も大伴家持の死後、弘法大師も大伴氏の支族である佐伯氏の出自ではあるが家持よりはずっと後世の人。とあれば、大伴家持が出る幕はないのである。 (本堂前の紅葉) (撫で牛) 撫で牛というと天神さんの専売特許かと思っていたが、虚空蔵菩薩は丑・寅年生まれの人の守り本尊ということで、撫で牛がこの寺にも鎮座しているのか。 今から400年ほど前、会津で大きな地震があり、圓蔵寺本堂を再建するに当たり、何処からともなく赤牛の群れが現れ、巨大な木材を運び活躍し、工事が完成すると忽然と姿を消したという赤べこ伝説が生まれ、この地が「赤べこ伝説発祥の地」とされている。 虎も工事のお手伝いをしていたら、撫で牛と並んで撫で虎も鎮座することになったのだろうが、虎は甲子園球場の応援に忙しくて、会津まで手が回らなかったので、撫で虎になるチャンスも黄トラ伝説を作るチャンスも逃したという次第。 ということで、本堂前、鐘楼脇に赤べこがいます。 (赤べこ・母、満子) (鐘楼) 鐘楼脇の赤べこと撫で牛がいる付近から階段道を上ってゆくと、美しい紅葉がありました。 (本堂脇から一段上った場所の紅葉) 更に上ったところが、霊寶堂や圓蔵寺会館などがあるエリア。 (左から水子地蔵尊、霊寶堂、圓蔵寺会館) (奥の院への案内板) 奥の院へと向かう。 鐘楼の南側まで戻り、庫裡の塀に沿った道を南へと進む。 (圓蔵寺境内から見る柳津の家並み) 散り紅葉が降り積む道をサクサクと行く。 (圓蔵寺・庫裡) 庫裡を過ぎると、道は七曲り(実際は3度曲がるだけのS字またはZ字)の下り坂となる。 表山門(南山門・仁王門)へと下る道は、赤べこがいた付近にあったようだが、「赤べこ」や「撫で牛」に気を取られていた所為で見過ごしたものと思われる。坂を下り切って出た広い道を右に進み、赤べこ通りに出る。 奥の院よりも先に、表門である南山門を撮影しようと、赤べこ通りを駅方向に少し戻ることにするが、本記事はここまでとし、続きはページを改めることにします。(つづく) <参考>銀輪万葉・その他篇 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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