カテゴリ:銀輪万葉
(承前)
赤べこ通りに出て、圓蔵寺仁王門(南山門・表山門)へと向かいます。 (圓蔵寺・仁王門) 赤べこ通りから見上げるだけで済ませ、石段を上るのは止めに。 本堂も仁王門も巨大な岩の上に建てられている。 (柳津温泉のオブジェ) (同上・副碑)<参考>柳津温泉・Wikipedia 西山温泉・Wikipedia 副碑によると、柳津温泉は、近くの西山温泉から源泉を引湯して温泉街が開かれたようだが、1987年(昭和62年)4月に圓蔵寺駐車場近くでボーリング調査して源泉を開発、現在は独自源泉による温泉街となっているとのことで、只見川沿いでは一番大きな温泉街だそうです。 <参考>福島県観光情報サイト・ふくしまの旅・柳津温泉 球形のオブジェの頭頂部からは、絶えず温泉の湯が流れ出しているので、濡れて光っている。 オブジェの左隣の観光案内板には、西山温泉も表示されているのは、かつて源泉を引湯させていただいていた頃の看板であるからなのか、それともその頃のよしみということなのか。 (柳津温泉観光案内板) あかべこ通りを、銀山川に架かる中の橋まで戻ると、橋を渡った先に「ほっとinやないづまちなか」という無人の無料休憩所があり、トイレを借りるため立ち寄る。 (銀山川・中の橋の上から上流側を望む) (中の橋・銀山川上流から) <参考写真> (ほっとinやないづまちなか) ※この写真は「会津暮らし」というサイト記事から借用しました。 すると、その入り口前にその奥の高みに良寛像があることを示す看板があった。トイレを済ませてから、かなりある階段を上って良寛像を見に行くこととした。 (良寛像と詩碑) 後で気付いたことであるが、この良寛像が建っている場所はつきみが丘町民センターという町営の宿泊施設で、日帰り温泉としての利用も可能とのこと。まあ、滞在時間が限られているので、温泉に入っている余裕はないので、その時に気付いていたとしても、温泉を利用することはなかったので、同じことであります。 (同上・詩碑台座の銘板) 良寛の「也奈伊津ノ香聚閣ニ宿リ、早ニ興キテ眺望ス」と題する詩の全文を転記しようかと思ったが、使用されている漢字でブログには使用できない機種依存文字が三か所ほどあるので、全文転記は諦め、冒頭部分一部にとどめて置きます。 全文は、上掲の写真をクリックし、フォト蔵の大きいサイズの画像でお読みください。 夕ニ向イテ香閣ニ投ジ 口ヲ嗽ギテ青蓮ヲ礼ス 一燈幽室ヲ照シ 万像云ニ禅ヲ倶ニス 鐘声五更ノ後 梵音林泉ヲ動カス 東方漸ク已ニ白ク (以下略)(同上・副碑) 副碑によると、良寛が圓蔵寺に詣でたのは、文化14年(1817年)秋、彼が60歳の時と推定されているようです。 良寛和尚(1758~1831)が、宿願の香聚閣・柳津圓蔵寺詣でを果たしたのは、文化14年(1817)秋、60歳の時と推定される。遺された詩歌によれば、越後から江戸に出て、その後北上し、圓蔵寺に詣で、さらに米沢から鶴岡に進み、越後に帰ったものと思われる。 良寛和尚は、秋たけなわの夕刻、ようやく圓蔵寺に杖を曳き、ご本尊に礼拝し、一本の蝋燭の灯るほの暗いお堂の中で諸仏に囲まれ、しばし座禅をした。翌朝、五更(午前4時頃)の鐘で目を覚ますと、さわやかな秋の気が山川にみなぎり、今はない三重塔をはじめ堂宇が遠近に見えたという。 以上、副碑より転記(部分) 良寛像のある場所から階段を下っていると、中ほどで左手に公園のような広場があり、奥に小さなあづま屋がある。 あづま屋の脇に立つと観月橋の先に圓蔵寺の本堂と仁王門が一望。 (圓蔵寺本堂と仁王門) 本堂の回廊が正面に見えるが、先刻その回廊の中央付近からこちら方向に向けて観月橋や瑞光寺橋の写真を撮ったことを思い出したので、その写真を確認してみると、こちら側のあづま屋が左片隅にはっきりと写っているのが見てとれました。<会津柳津散策(上)の12枚目の写真参照> さて、中の橋に戻り、奥の院へと参ります。 中の橋を渡って二つ目の辻を右(東)に150mほど行くと、奥の院、弁天堂がある場所へと上って行ける階段道があった。これを50mほど上って行くと、正面に弁天堂。 (圓蔵寺・弁天堂) (同上・説明碑) (圓蔵寺・奥の院) 奥の院エリアには釈迦堂もあったが、重要文化財の弁天堂には叶うべくもなく、ここではお釈迦様も弁天さんに貫禄負けのようです。 (同上・釈迦堂) 奥の院からの帰途は、紅葉の綺麗な坂道を下って行きます。 (奥の院からの坂道) (同坂道の紅葉) 再び、中の橋まで戻り、県道151号の緩やかな坂道を南へと上る。 坂道の途中、つきみが丘町民センターの高台から下って来る坂道と合する場所で、数人の男性が融雪装置の点検整備をされていましたが、そろそろそういう支度もしなければならない時期なんですね。 少し早いが、ヤカモチもそろそろ昼食の店を探す時刻である。 道の駅に行けば食事のできるところがあるだろうと、道の駅会津柳津へと向かっているのであります。 県道151号の右手、少し低い位置を国道252号が通っている。 道の駅は国道沿いだろうからと国道へと下る道を探しながら歩く。 坂道を上り切り、少し下り坂になった辺りで、右に入る道があったので、これを下って行くことに。 すると、国道252号に出たところが丁度、道の駅の前。 (道の駅会津柳津・観光物産センター) 観光物産センターの中に食事のできる店のあることを確認。 まだ少し時間が早いので、付近をブラブラ歩きすることに。 観光物産センターの隣が斎藤清美術館。 (同上・斎藤清美術館)<参考>斎藤清美術館 斎藤清・Wikipedia この画家のことは存じ上げないが、会津坂下町出身の版画家だそうです。 町の所々の道標に斎藤清が描いた柳津の風景版画の石板がはめ込まれていました。 (斎藤清の絵がはめ込まれた道標) 道の駅の駐車場北側は只見川で堤防道が通っている。 そこに上がって写真を撮ってみた。 (道の駅駐車場北側の只見川堤防道・上流側<西>方向の眺め) (同上・北方向の眺め) (同上・下流側<東方向>の眺め) この堤防道からも圓蔵寺の本堂が見える。 赤い橋は国道252号の瑞光寺橋である。 観光物産センターに戻り、土産物などを物色後、少し早めの昼食。 昼食を食べ終わる頃、昨日、只見線で小出から会津柳津まで通路を挟んで向かいの席に座って居られたご夫婦が入って来られた。 視線が合うこともなかったので、特にご挨拶もせず、店を退出。 (道の駅会津柳津の登録証) 道の駅というのは、国土交通省に登録申請して、その登録を受けて初めて道の駅を名乗れるもののようです。道の駅でこのような登録証が掲出されているのを見たのは、というか気づいたのは今回が初めてである。 (道の駅会津柳津全景) 道の駅を出て、駅方向に戻ることに。 帰りの列車の時刻には未だ間があるので、寄り道をしながら参りますが、つづきはページを改めることとします。(つづく) <参考>銀輪万葉・その他篇 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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