カテゴリ:銀輪万葉
西大寺、喜光寺、唐招提寺、薬師寺の西ノ京4ヶ寺共通拝観券を入手したので、久しぶりに西ノ京を巡る銀輪散歩をして来ました。
このコースはこれまでに何度となく歩いたり、サイクリングしたりしているお馴染みの道である。 今回の共通拝観券のキーワードは「奈良・西ノ京ロータスロード(Nara Lotus Road)」ということで、蓮の花である。 共通拝観券に記載の各寺のプロフィールは下記の通りです。 ●真言律宗総本山 西大寺 (奈良市西大寺芝町1-1-5 TEL.0742-45₋4700) 西大寺は称徳女帝の鎮護国家の勅願により天平神護元年(765)に創建された南都七大寺の一つです。鎌倉時代に稀代の名僧・興正菩薩叡尊上人によって真言律の根本道場として再興され、その法燈を現代に伝えます。 ●法相宗別格本山 喜光寺 (奈良市菅原町508 TEL.0742-45-4630) 喜光寺は行基菩薩が養老5年(721)に開創。平城京での布教や東大寺大仏造立の活動拠点とされました。天平21年(749)、行基菩薩は喜光寺で入滅。現在は、いろは歌を書写する「いろは写経」の体験が人気です。 ●律宗総本山 唐招提寺 (奈良市五条町13-46 TEL.0742-33-7900) 唐招提寺は唐の高僧・鑑真大和上が奈良時代に創建した寺院。和上が来朝された時に蓮根をもたらしたことから、開創以来、蓮を大切に栽培してきました。和上伝来の品種は「唐招提寺蓮」「唐招提寺青蓮」「奈良蓮」。 ●法相宗大本山 薬師寺 (奈良市西ノ京町457 TEL.0742-33-6001) 薬師寺は天武天皇により発願、持統天皇によって本尊開眼されました。その後は平城遷都に伴い、藤原京より平城京に移り今に至ります。 先ず西大寺へ。 なお、この記事は本日のそれではなく、7月30日のことなので、10日遅れのご報告ということになります。 (西大寺境内図) 西大寺はこれまで何度となく立ち寄っているが、堂内に上がり仏像などを拝観するのは多分今回が初めて。 どことも堂内の撮影は禁止されているが、その影響もあってか、撮影が許されているお堂の外観写真なども撮影せぬまま境内を出てしまい、愛染堂裏の蓮苑でハスの花の写真を撮ったのみであることに、西大寺を後にしてから気が付きました。 そんなことで、拝観の際に頂戴した各お堂のパンフレットを撮影した写真でその穴埋めといたします。 先ず、本堂です。 本堂は本尊の釈迦如来立像、弥勒菩薩坐像、文殊菩薩騎獅像などが安置されている。 (西大寺・本堂<1>) (同・本堂<2>) 次に愛染堂。 愛染堂には、愛染明王と興正菩薩(叡尊上人)が祀られている。 (同・愛染堂<1>) (同・愛染堂<2>) 愛染堂内では叡尊像に初の対面。 西大寺中興の祖とされる叡尊の名は夙に承知していたものの、その像を拝するのは初めてで、何となくイメージしていたお姿とは異なっていたので、何やら妙な気分でありました。 愛染堂の裏に蓮苑があり、今回の拝観券のキーワードは「蓮の花」なので、これを撮影することに。 蓮苑の入口近くに鎮座ましますのは、平和観音像。 (同・平和観音像) そして、ハスの花です。 (同・蓮苑<1>) (同・蓮苑<2>) (同・蓮苑<3>と平和観音像) (同・蓮苑<4>) (同・蓮苑<5>) (同・蓮苑<6>) 愛染堂を出て、四王堂へと向かいます。 四王堂には、十一面観音菩薩像、四天王像、行基菩薩像、道鏡禅師像、百万塔陀羅尼などが安置されている。 (同・四王堂<1>) (同・四王堂<2>) そして、今回は立ち寄らなかった奥の院・叡尊上人御廟ですが、西大寺境内から西へ600mほど行ったところにあるのがそれ。 (同・奥の院叡尊上人御廟) ここは、2017年8月29日に訪ねているので、その折の記事を下記に貼って置きます。 <参考>叡尊墓と北山十八間戸 2017.8.29. また、これまでに西大寺を訪問した折の過去記事も参考までに掲載して置きます。 <参考>大和西大寺駅から矢田寺経由富雄駅まで 2010.3.5. 青雲塾第2回万葉ウオーク 2011.6.5. 第2回ペリカンの家サイクリング下見 2019.8.25. 西大寺を出て喜光寺へと向かいます。 (喜光寺・本堂) 蓮鉢は250鉢あるそうな。 (同・蓮の花<1>) 喜光寺の蓮の花はこんな感じです。 (同・蓮の花<2>) (同・蓮の花<3>) 弁天堂へと向かう通路脇の溝に咲いていたのはミズアオイ。 (同・ミズアオイ<1>)<参考>ミズアオイ・Wikipedia ミズアオイは万葉では「水葱(なぎ)」と呼ばれる。 ということで、ミズアオイも万葉植物である。 醤酢に 蒜搗き合てて 鯛願ふ われにな見えそ 水葱の羹 (長意吉麻呂 万葉集巻16-3829) <醤と酢に蒜をまぜ合わせて鯛を食べたいと思っているのに、水葱の 羹なんぞ俺に見せるな。> (同・ミズアオイ<2>) 同じミズアオイ科の植物で、ミズアオイよりひと回り小さい花を咲かせるコナギというのもあり、両者は共に、ナギ(菜葱)、ミズナギ(水葱)という共通の別名で呼ばれることもあるので、万葉の「ナギ」や「コナギ」がミズアオイをさすのか、コナギをさすのかは定かではない。 まあ、万葉人は植物学者ではないのだから、両者を厳密に区別していなかったということは十分考えられるから、どちらかというのではなく、両方を含んだ総称と考えるのが相当かもしれない。 <参考>コナギ・Wikipedia (同・ミズアオイ<3>) 万葉で歌われているように、古代の人は、ミズアオイやコナギの若葉を汁にしたり、塩茹でにしたり、漬物にしたりして食べたのであろう。 また、次の歌からは、その花を摺り染めの染料としていたこともうかがえる。 苗代の 小水葱が花を 衣に摺り 馴るるまにまに あぜかかなしけ (苗代に咲いている小水葱の花を、衣に摺り付け、着なれるにつれて、どうしてこんなにも愛しいのだろう。) (同・弁天堂) (同・弁天堂 御神影 宇賀神像) 喜光寺にある万葉歌碑はこれ。 (同・万葉歌碑) 大き海の 水底深く 思ひつつ 裳引き平らしし 菅原の里 (巻20-4491 石川女郎) (大海の水底のように深く思いながら、裳を引いて地面を平にした菅原の里よ。) この歌碑については、過去記事でも紹介しているので、下記をご参照ください。 <参考>青雲塾第2回万葉ウオーク 2011.6.5. 会津八一の歌碑も境内にあるが、今回は撮影し忘れたよう。 上掲の「同・蓮の花<1>」の写真の右隅奥に写っている石碑がその歌碑であります。 上記2011年6月の参考記事には、その歌碑の写真も掲載されていますので、ご参照ください。 本日はここまでとします。(つづく) <参考>銀輪万葉・奈良県篇の過去記事は下記をご覧ください。 銀輪万葉・奈良県篇 銀輪万葉・奈良県篇(その2) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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