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昨日(10月18日)は旧友、西〇氏、平◎氏、健麻呂氏との会食会で難波まで出かけました。
お天気に問題なしと見込まれたので、例によってマイCB・クロスバイクをお供に難波まで銀輪散歩というヤカモチスタイルでのお出掛けでありました。 西〇氏からの声掛けによる集まりであるが、会社勤めであった頃は当然に夜の会食会であったが、退職してからは昼間の会食会が専らとなっている。 コロナ禍で、この会も長らく中断していたが、久々に開催である。 直近の開催は2019年7月17日でしたから、5年ぶりということになる。 <参考>旧友との昼食会で難波まで銀輪散歩 2019.7.18. 上記<参考>記事によれば、前回はMTB・マウンテンバイクをお供にしたようだが、今回はCBでありました。 がんこ難波本店に正午集合ということで、それに合わせ且つ自転車の駐輪場所探しに手間取るかもしれないということも加味して、少し早めにと朝10時になるかならない位に自宅を出発、花園中央公園北側の道を西へと走ります。 (銀輪コース地図)※赤線ー:往路 青線ー:今里交差点までの復路、その先は往路と同じ ところが、五叉路になっている今里交差点で、左側のJR鶴橋駅前に通じる道を行くべきところ、何を勘違いしたか右側のJR玉造駅前に通じている道の方に進んでしまった。暫くしてそのことに気が付いたが時間には余裕があるので、そのまま直進し、御堂筋に出る。 御堂筋は歩道の拡張工事が進んでいて、歩道・自転車道スペースが随分広くなり、見違える景色になっていました。 突き当りの高島屋・南海難波駅前のなんば広場に到着。 (なんば広場・大阪フリンジフェスティバル) このスペースの名称が分からなかったので、ネットで調べると「なんば広場」とありましたが、何やらバンドのライブ演奏中で、多くの人が集まっていました。 (なんば広場)※これはネットからの借用です。 此処は歩行者天国、自転車も乗り入れ禁止。手押しで歩きながら通り抜ける。未だ11時を少し過ぎたばかりなので、時間はある。適当な駐輪場所を探すべく、がんこ難波本店のあるなんば南海通りへと入って行く。 観光の外国人の姿がやたら目につくが、多くの人が行き交っている。 (なんば南海通) 前回の2019年7月の時は、道向かいのパチンコ屋の駐輪場に駐輪させていただいたが、今回もと行ってみるも様子が変わっていて、そのパチンコ屋の両サイドは他の建物がくっつくように建っていて駐輪スペースなどは存在しない。で、ぐるぐると周辺を物色するも長時間駐輪できそうな場所は見つからない。 そこで、店からは少し距離があるのだが、戎橋筋商店街を千日前通りまで引き返し、道路沿いに設けられている有料の無人機械式駐輪場を当たることとする。 殆ど満車の状態であったが、運よく1台の空きが見つかりました。無事駐輪することができ、やれやれです。 再び戎橋筋商店街を南海通り方向に戻る。商店街の出口・右(西)側にあるのが映画館「東宝シネマなんば」の建物。この建物1階エレベータホールの壁面に「映画興行発祥の地」碑の銅板があるということを、グーグル地図で見た記憶があったので、入ってみた。 (東宝シネマなんば・エレベーター乗り場) はい、一番奥のエレベーターの右壁面にそれはありました。 (映画興行発祥の地碑) 碑の全文は下記の通りです。 私はこの南街會館を建てるに際し 偶然この地が日本に於ける映画興行の 發祥の地である事を或る文献によって 知る事を得た 即ち京都の稲畑商店が明治三十年 二月十五日(一八九七年)より一週間當時 此處に在った南地演舞場でフランス人オウギュスト・ リュミエールの發明にかゝるシネマトグラフを初め て日本で公開興行したのである 日本で最初にスクリーンに映された映画が 人々の眼にふれたのは實に此の場所であった 五十七年前のこの事實を私は知らずして 南街會館建設を企画したのである 誠に奇しき因縁と思ってゐる 一九五三年十一月 小林一三 がんこ難波本店の前に戻るが、未だ11時30分にもならない。 店の東側の路地を入って行くと、商店街従業員用の駐輪場がその奥にありました。自販機の脇にベンチとテーブルが置かれていて灰皿も置かれている。此処で煙草を一服つけて休憩。11時40分前後に店に入る。 案内されたのは2階の部屋。 ヤカモチの一番乗りでありました。 (がんこ難波本店) 待つこと数分、健麻呂氏がお見えになりました。 彼は5人組ウオークのメンバーの一人であるが、コロナ禍に加えてヤカモチの腰痛悪化で長距離歩行が困難となった結果、2020年3月の滋賀県太郎坊宮ウオークを最後に実施を見合わせているから、彼とはそれ以来ということで、4年半ぶりの再会である。 この会への彼の参加は初めてであるが、五人組ウオークが休止となっている中であるから、嬉しい再会である。 <参考>五人組ウオーク2020春編(その1) 2020.3.7. 五人組ウオークほかの記事はコチラ。 彼と腰痛のことなどを話していると、平◎氏がご到着。 平◎氏は囲碁の会のメンバー(ヤカモチが声掛けして参加いただいた)でもあるが、同氏は、2022年7月13日の囲碁例会出席を最後に長らくご欠席されているから、2年3ヶ月ぶりの再会ということになる。 <参考>囲碁例会・コロナ再拡大が心配ですが 2022.7.13. 囲碁関連の記事では、メンバーに平〇氏という方が既に居られた関係で平◎氏と呼ばせていただいているが、友人としての古さは平◎氏の方がずっと先であるから、今後は平麻呂氏とお呼びすることで、平〇氏との区別をしますかね。 なお、前回のこの会はこの平麻呂氏と西〇氏(同様に以後は西麻呂氏とお呼びすることにしましょう。)との3人での会食であったから、この会で言えば5年ぶりの再会ということになる。 この会は何となく4名で会食というのが過去来の習いとなっていて、西麻呂氏とヤカモチは固定で、他の二人は時によって変化したりする。 5年前の前回のもう一人は山〇君を予定していて、4人で会食の段取りであったが、急用が生じたとかでドタキャンとなり、山〇君抜きの3人での会食となったのである。 その後、山〇君はコロナに感染、重症化して、2021年2月28日に帰らぬ人となってしまわれたのは痛恨の極みでありました。 <参考>till we meet again 2021.3.5. 山〇君追悼記念式・うつそみの人なるわれや 2022.3.26. 最後に西〇氏改め西麻呂氏がご到着。 西麻呂氏はヤカモチが入社して間もない頃に会社と取引関係にあった印刷会社の営業マンであった人物。仕事上のお付き合いは勿論であるが、入社して間もない頃から、ヤカモチと人事部配属で同期入社の下〇君と二人で立ち上げた読書会兼勉強会にも参加されて、判例などの法律問題や歴史や宗教や文学など雑多なテーマを取り上げてのアフター5の勉強会を共にした仲間でもある。 正式な社員サークルというのではなく、会社への届け出などは何もない、若手社員による任意の集まりであったが、この頃の会社には自由闊達な空気があり、会社事務所内の会議室を利用しての社員有志の集まりに取引先会社の営業社員が参加するということも抵抗なく行われていたのである。 今では、個人情報、企業情報の管理上の問題から、他社の人間が事務所内にこのような形で入室するということは考えにくいのであるが、当時は普通のことであったかと思う。 それはさて置き、そんなことで西麻呂氏とも長い友達付き合いになる。 そんな西麻呂氏であるが、前回以来であるから、直に顔を合わせるのは5年ぶりであります。 全員が揃ったので、再会を祝し乾杯。 この年齢になるとこうして元気に再会できたことそれだけで十分に嬉しく喜ぶべきことと言わなくてはなりますまい(笑)。 あれやこれやの思い出話や親しい友人たちの消息話などで2時間余はまたたく間に過ぎ、またの再会を約してお開き、解散となりました。 帰途は、千日前通りを東上、途中、生国魂神社で小休止などしましたが、今里交差点で往路の道に入り、これを東上。 花園中央公園に入り、花園ラグビー場前の喫煙所で一服して、帰宅でありました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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