飛立
『出会いがあれば当然別れがある。開いたものはいつか閉じる。生まれたのならやがて死ぬ。「大それたことを語りたいのです、出来るならば‥」』昨日‥台風のどんより雲の空に向け、羽田空港17:55発の飛行機が飛び立った。地表を覆う、黒く暗い雲を突き抜けると、青く明るい果て知らずの空‥そして、真っ白な雲海に出会える。嫌な事など全て消え去る、夕刻の赤雲を堪能し‥僕は今、北海道釧路に帰省している。寒い。上の写真にあるように、釧路は気温6・5℃‥東京の冬だ。空港では母が、そして、写真の丹頂鶴とシマフクロウが、剥製となって迎えてくれた。(ちなみに、幸い母は剥製ではなかった)釧路空港から、釧路町の実家への45分間‥母の口から出る話は、やれ、「どこ」「そこ」が閉店した‥「ここ」「かしこ」が調子悪い‥「だれ」「かれ」が亡くなった‥等と‥なんとも、高齢化+不景気な「釧路の実態」。まざまざ思い知らされた。僕が「夢」を培い、膨らませて、「夢」のまね事(お笑いライブ・街角弾き流し)をしていた90年代後半‥釧路も活気と、やはり、「夢」に満ちていた様に思う。それから10年‥「夢」を追ったボクとワタシ「夢追う者」を送ったクシロ追い付いた今の所の「現実」。帰れば、帰る度に哀しい町になる釧路。でも、果てしなく愛おしい町。『出会いがあり当然別れが』あったが、時期が来たらまた会いに来る!『開いたものはいつか閉じる』のかもしれないが、その跡にはもっと賑わうお店が地域に根差す!!『生まれたのならやがて死ぬ』のは仕方がない事だが、その人が遺した僕が日本を活気衝かせる!!!そしてその息吹を継いだ僕が、また次を継ぐ世代を育むのだ。大それたことでもあり当然のことである。釧路を取り巻く負の話など、必ず払拭してやる!釧路の正の話として笑顔で言えるのは‥釧路を飛び立った10年者の心が、当時より確実に強くなっているということである。あと3日、釧路愛を充電していきます。‐みずのしま‐