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全世界で12月8日はこの人の思い出が語られ、またこの人が作った曲を流してるでしょう。
今年、ヘベレケはジョンが亡くなった年齢に達しました。もう、26年も経ったんですね。 当時、ヘベレケは「ビートルズ・シネクラブ」というところの会員でして、朝刊でその事件を知り、学校から帰ってきてすぐ、シネクラブに電話して確認したのを覚えてますよ。 インターネットなど無い時代、テレビや新聞でしか情報は手に入らないし、よほどのファンでない限り、まだ中学生くらいじゃビートルズ関連の情報交換できる同級生も少なかったしね。 ビートルズに限らず、洋楽やロックってのはまだ一般的なジャンルじゃなかったよな、中学校じゃ。 だから、新聞記事は大事な情報だったんで、当時の新聞のスクラップは今でも探せばあるんじゃないかな?もちろん「その日」の朝刊もね。 1980年は、まずポール・マッカートニーがニューアルバム引っさげてソロで来日するってことで盛り上がってたんだけど、成田でご用。そして、ツアーキャンセル。 秋にはジョン・ボーナムが死んだ。 でも、ポールのニューアルバムからのヒットシングル『Coming Up』でやる気を出したジョンが「主夫からミュージシャンへ復活し、ニューアルバムの制作に取り掛かった」と同時に翌年早々に来日する、という嬉しいニュースがあって、もちろんニューアルバム『Double Fantasy』のレコードもすぐ買った。 そんな矢先の出来事だったんだよなぁ。。。 確か、事件後のレコードの帯には「追悼盤」の文字が入った帯に変わっていたんじゃないかな? あの時は『40歳』という年齢に対しては、中学生だったこともあり、どちらかというと『年寄り』的なイメージを持っていたんだけど、自分がなってみると『まだまだこれからじゃん』って感じだよな。 また、奇しくも同じ『12月08日』は、元・パンテラのギタリスト『Dimebag Darrell』の命日でもある。ジョンと同じように『凶弾』に倒れたのが、ヘベレケが屋根裏に帰還する数カ月前のこと。当時、西新宿に住んでたことにちなんで付けた『西新宿ロックシティ』という楽天のHPで、当時訃報の記事を書いたのが2年前でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006/12/08 06:48:23 PM
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