人は見かけでも判断しないと(韓国編) NO2
さて昨日の日記の続き。前だったらいくら長文でも、一回で書ききったのだが、久しぶりの更新でなかなかそうもいかない。とりあえず、なぜ私が韓国人の表情と言うことを意識し始めたのか、いきさつを書いてみたいと思う。こんなことを考え始めたのに、大きくは二つの理由があった。近因と遠因となるが。まず遠因。6,7年前のことだった。当時の職場である韓国人が私にこんなこと言ってきた。「・・さんは韓国人みたいですね。何と言うか緊張感のない雰囲気というか・・・」これは韓国人からしたらほめ言葉である。韓国人は韓国にいる外国人が韓国的な言動をとったら、韓国人のようだ、或いはあなたは韓国人だと言ってくる場合がよくある。私はこの時、ほめられたと言うのは分かっていたが、あなたは韓国人みたいだと言うような韓国人からのほめ言葉は腐るほど言われたことがあったので、もう嬉しくもなんともなかった。ただそこで緊張感のない雰囲気と言う言葉には引っかかった。確かに韓国人は言動、しぐさ等、緊張感がない。そしてやはり考えてみたら日本人は緊張感がある。言葉だけで表現するのは難しいが、韓国人の場合、緊張感のないリラックスしたしぐさや表情が親近感をあらわすようなところがある。だがその時のしぐさ、表情を仮に日本でやったら、どう思われるだろうか。かなり違和感がある。無神経、ぼけ、マナーのないやつ等々、思われかねないものである。もちろんそれ以前から民族性の違いとして分かっていたこの雰囲気の差だったが、これ以降具体的に緊張感と言う言葉で、この民族性の違いを意識し始めた。ただこの頃まではまだ雰囲気の違い程度の意識であって、表情と言うものまで具体的に考えはしなかった。とはいっても意識していなかっただけで、日本人と韓国人の表情が違うと言うのは、もちろん分かっていた。まあ自分の周りに空気があるのを意識するかどうかみたいなものだった。そして近因。2年ぐらい前だったと思うが、最近韓国ではただで運動できる公共のジムや施設がある。毎日運動するほどではない私はジム(韓国ではヘルスと言うが危ないものではない)にお金払ってまで登録するのももったいなかったので、週に1,2,3回ほど利用していた。ただし時間制限があって、夜のゴールデンタイムは職員の管理ができないので、開いていない。さてただでできるジムとなると、しかも昼しかできないとなると、どうなるのか。年寄りが多くなるのである。私はここで年配の人にまぎれて、時には周りとは違和感を持ちながら、筋トレをやったりしていた。おしゃべりの多い老人、特にハルモニたちの中で明らかに私は異質な存在だった。と言うよりも異質なのは失礼だが私でなく、老人たちではあるのだが。これも話すと長くなるのだが、主テーマではないので・・・。ある日私が必死にベンチプレスやっていた。今まさに重いベンチを全身全霊であげようとしていた。その瞬間1,2m横でベルトマッサージをやっていたハルモニが私の方に顔を向けてきた。ちなみに1,2m横で、ベンチ台で横になっている私には、その顔は私の視界の4分の1を占めるほど近くにあった。その顔を見て一瞬力が抜けそうになった。そのままベンチを持っていたら、危なかっただろう。直前で挙動をとどめたが、その顔には参ってしまった。どんな顔だったのか。まさに緊張感がないのである。悪く言えば、かなりぼけーとした顔。正直言葉では言い表せない。そして必死に運動している時に、真横の至近距離からこんな顔が目に入ってきたら、しかも私は横になっていて、上のほうからこんな顔が目に入ってきたら・・・。普段道端でよく見る韓国のハルモニの顔も非常にグロテスクに見えてしまった。まず私が運動しているのなら、その顔を私の頭上近くに向けないでほしいと思う。そこで100歩譲って、もし顔を近くで見せるのなら、運動する場にあまり違和感のない表情と言うのがあるだろうが。まあハルモニたちはジムに運動よりも遊びに来ているのではあるが。この時韓国人の「表情」と言うものを具体的に考え始めた。この出来事が2,3年前だったから、ここ2,3年は表情をテーマとして韓国人のことをよく考える。長くなったので続きは後日。いい加減にしろと思う方もいるかもしれないが、私が2,3年いつも考えてきたテーマなので、簡単には終わらせられない。