カテゴリ:仕事
ここでいう一般的な日本人とはあくまで「五体満足で仕事をしている人」とする。五体満足で普通に仕事ができる事自体、選択支があるという意味では自由なのだろうが、経済的に自由ではない人はやっぱり自分を自由とは思っていないのではないだろうか? 人間は不思議なもので、どんなに恵まれた環境でのそれに満足できない。むしろ恵まれれば恵まれるだけ、より良い環境を求めようとする。 僕も例にもれず、もっと良い暮らしを!もっと自由なスタンスでの仕事を!などと小市民的な事を望んでいる。 「テレビで見たイラクの内情」と比較し、「日本は自由な国だ。贅沢を言うんじゃない!」などと語る奴なんて完全な偽善者だ。そんな5円チョコも買えない安いセリフを言う奴に限って何の行動も起こさない。本当に助けの手を伸ばしたいと考えている人は必ず行動を起こすものだ。 僕は行動を起こせない臆病者で小さな人間なので、せめて偽善な発言だけはしないようにしている。だから僕は偽善者の言うところの「自由の国日本」に僕を生んでくれた両親に感謝し、不自由な自分と戦っている。 働く以上、自由はありえない。社長だろうがアルバイトだろうがだ。芸能人が自由と思わないし、芸術家だって自由とは思わない。どういうかたちであれ、収入を得る以上は、自分以外の意思に従わなくてはならないのだ。 だから最近は少し考え方を変えた。生き方の方向転換とも言える。 世の中に縛られることを美徳とすれば、そこに不自由さは感じなくなる。そのまま流されるのではなく、自らが縛られにいく。 家具販売というサービス業である僕の場合は、徹底的にお客様に縛られることを自ら望む。中途半端な反発心を一切排除し、自ら縛られにいくことで、社会に対してパンクロックしてみせる。これぞ21世紀のカウンターカルチャーというやつだよ。 世の中のみんなが不自由であることを自由とすればきっと世界平和が訪れると思っている僕はブライベートでも縛られる事を望む「ドM男」なのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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