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カテゴリ:風習
一週間ぶりの更新です。
お久しぶりです。夜叉神天です。

今日は葬儀について意見を書かせていただきます。
最初にお断りしておきますが、葬儀についての風習や考え方は地方によっても違い、宗派やお寺さんによっても意見が違うことがあります。どうしても片寄った意見を言ってしまうことが多いのですが、夜叉神天一個人の意見ですので、反論等ありましたら掲示板に投稿していただくか、メールください。

では、本題へ。
葬儀
僕は、趣味(?)で葬儀屋さんのHPや、現役の葬儀屋さんの日記や体験記のHPなどによく行きます。
専門用語も覚えてしまいました。下げ(さげ・・・病院から自宅へ「ホトケ」さんを戻す)、戻り七日(もどりなのか・・・火葬・拾骨後に斎場に戻って初七日をすること。通常は自宅で行う)などなど色々です。
初七日
先の「戻り七日」では、葬儀当日に初七日を営むことになりますが、葬儀が月末だと満中陰(忌明け)が三ヶ月またいだ先になるので、それを嫌うので始まったのですが、「ついでにやればいい」という自分勝手な「人間側の意見・都合」で行うことが多くなりました。まったくけしからんことです。親族の気が休まる暇が無いじゃないですか。
寺院のほうも「ついでにやれば楽で良いや」なんて阿呆みたいな意見を持ってる。僕の慕っている真言宗のお寺さん(僕ん家は真宗ですが。)も「葬式ばっかやってる寺が多い。特にS土S宗は金に踊らされてる。」と言っていました。僕の家の檀那寺の住職は省略が嫌いなんで、法事のたびに「初七日を葬儀当日にやるなんてなんだと思ってるんだ。人の都合で仏さんの世界を動かしたらあかん。人はあくまで仏さんに動かされるほうなんだよ。」この住職さんも八十八歳。こんな坊さんばかりだったらS土S宗も「株式宗派」なんていわれないだろう。

清め塩
最近の葬儀では、「我々は葬儀後に清め塩を用いません。昨日まで仲良くしていた人を亡くなったとたんに『穢れた』もの扱いする、間違った考えです。」と張り紙がしてあります。十二年前の祖父の葬儀では清め塩を置いてもらったそうです。
そもそも、「清め塩という風習は間違った考え」という張り紙自体が「間違い」なんです。
塩には、「戻ってきてください」という意味があって、玄関の「盛り塩」もお勤めに行っているお父さんに安全に戻ってきてほしいというおまじないがはじまりです。京都なんかは斎場の入り口に筵を引いて塩を山盛りにして「またいで(又は踏んで)」会場(えじょう)に入り帰りも、塩をまたいで斎場を後にする。喪家の人たちの「事故無く帰ってください」というお願いがこめられています。
また、色が「白」いところから「悲しんでばかりいないで、心を真っ白にして故人と向き合いなさい」という考えもあり、豆腐を食べるところもあるとか。
因みに、「穢れ」とは「気枯れ」が語源で、人間と木は似たようなつくりで、↓のように
木      |   動物
------------  |   ------------
   実実    |    耳      
   芽芽    |    目      ←芽が出る∞目が出る
   花     |    鼻      ←匂い
   葉     |    歯      ←養分(光)を取り入れる
   枝     |    手足     ←昔の書物には手足ではなく、枝と記されていた。(肢)

↑のように解釈でき、「木     |    気      ← 木が枯れる、気が枯れる。気が枯れる、きがかれ、きがれ、けがれ。。。(行者大集合 日記帳参照)」
日本語ってこんなものなんです。
それを現代人が勝手な間違った解釈をして昔からの「根本」の考えをかき回してゴチャゴチャにしている。

僕一人がここでなんか言っているだけでは葬儀の事情は変わりませんが、一人一人の意識が変わっていくことが大事になってきます。「気枯れ」もそうですが、職業差別や「障害」者差別などの差別の考え方ももとは「敬う」ことが最初になっています。
明日か明後日には「差別の発祥はなにから?」みたいな題で差別問題について書きたいと思います。






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最終更新日  2005年03月23日 14時25分41秒
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