テーマ:詩歌(48)
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✦戦争に対する三好の詩 ドナルドキーンは次のように言っています。戦争中の三好の詩はとてもつまらないもので、載せるに値しないといって、全集から削除する人もいる。誰と書いていましたが、すぐ書き取らなかったため、誰か忘れました。「戦時中の三好の詩は憂国の色彩が極めて濃い」とドナルドキーンは読む価値を認めて詩集に載せています。ただし、「撃ちてし止まん」などというのはどうしようもないが、と言っています。 この頃の詩人も作家も画家も国策に沿って書かなければ生きていけない時代。達治もどんな詩を書いたのか、今読み返す余裕もないので分かりませんが、ドナルドキーンさんが選んだ詩を読んでみました。
おんたまを故山に迎ふ - - - - ふたつなき祖国のためとふたつなき命のみかは 妻も子もうからもすてて いでまししかのつはものの しるしばかりの おん骨はかへりたまひぬ うから・・・親兄弟、親戚 これは決して英霊を讃えている詩ではないですね。それどころか反戦の匂いさえします。
もうひとつ長いですが散文詩を・・・。
列外馬(測量船)
- - - - - それは既に馬ではなかった、ドラクロワの「病馬」よりも一層怪奇な姿をした、ぐっしょり雨に濡れたこの生き物は、生あるものの一切の意思を喪ひつくして、そうしてそのことによって、影の影なるものの一種森厳な、神秘的な姿で、そこに淋しく佇んでゐた。それは既に馬ではなかった、そのおぼつかない脚の上にわづかに自らを支えてゐる、この憐れな、孤独な、平野の中の点景物は。
折からまた、二〇人ばかりの小部隊が彼の傍らを過ぎていった。兵士たちは彼に軍帽のかげから憐憫の一瞥を投げ、何か短い言葉を口の中で呟いて、さうしてそのまま彼を見捨てて、もう一度彼の姿をふりかへらうともせず,粛然と雨の中を進んでいった。 雨は声もなく降り続いてゐる。小止みもなく、雨は十日も降ってゐる。 やがて時が来るだらう、その傷ついた膝を、そのつつましい困憊しきった両膝を泥の上に膝まづいて、さうして彼がその苦労から彼自身を取り戻して、最後の憩ひにつく時が、やがてまもなく来るだらう。 遠くに重砲の音、近くに流弾の声。
これで検閲がよく通ったと思うくらい戦争の悲惨さを描いていますね。使い物にならなくなった馬の悲惨さ。人間も同じだと思わせます。 つづく お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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