テーマ:☆詩を書きましょう☆(8463)
カテゴリ:詩
東京最後の空襲
忘れもしない昭和二〇年五月二四日の夜 寝付いたばかりだった 空襲警報のサイレンが鳴る B29が聯隊で飛んでくる 次々に急降下する 一斉になり響く不協和音が耳をつんざく
連夜の空襲から かろうじて焼け残ってきたが 今夜こそきっと駄目だろう 「早く講談社の地下へ行きなさい」 母に急かされ もんぺを履き防空頭巾をかぶって 玄関へ出たのだが 「私行かないわ お父さんやお母さんとはぐれるの嫌だから」 「それじゃ寝てなさい ふらふらしてたら逃げられないよ」 私は二階に寝かされた
今考えると二階に寝るなど無謀なことだった 焼夷弾の直撃を受けたらお仕舞だ でも父も母も私も爆撃している場所は まだずっと離れていると音で分かっていた
それにしても空襲の轟音の中で よく寝られたものだと思う 父と母と一緒にいられる 死ぬときは一緒と思うだけで ほっと力が抜け 轟音も子守唄 ゆりかごに揺られるように うとうとしてしまった
どのくらい眠ったのだろう 母に起こされた いよいよ逃げないといけないのか 布団を蹴って飛び起きると 「風向きが変わったんだよ もう大丈夫」と明るい母の声 ぱっとどん底の暗闇に灯が点った
江戸川橋から音羽九丁目八丁目と 何もかも飲み込むように燃え盛ってきた炎が 四丁目に入ると すぐ前の家の通り一本隔てたところで 急に向きを変え 茗荷谷の方へ燃え上がっていったというのだ
その通りの向こう側にあった お琴のお師匠さんの家も 人形浄瑠璃の家も 強制疎開で打ち壊されていたが その空地のおかげで助かったのかもしれない
「運がいい 運がいい 何て運がいいんだろう」 父と母はまだ庭にいて 飛び散ってくる火の粉を 竹の棒の火叩きで振り払っているのを 私は玄関にへたへたと座り込んで 呆然と眺めていた
家が焼けなかったことを 手放しで喜べなかった 茗荷谷への登り口には 確か 小さな女の子が住んでいた 母親の背中に負ぶさって 無事に逃げられただろうか 急に火が回ってどんなに慌てふためいたことだろう 体の中を風が吹き抜けた
たとえ自分の家が焼かれなかったにしても その代わりに犠牲になった家がある それが戦争の惨さであった 私は人知れぬ心の深傷を負ったのだった お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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