カテゴリ:詩
老いのささやかな怖れ
老いると両足が地面から離れるのが怖い
若い時は楽しかった スキップ 縄跳び ゴム跳び ダンス 人は鳥になれた
歳を取ると 電車とホームの僅かな隙間さえ怖い 手すりをしっかり握り ぐんと足を延ばして飛ぶように空間をまたぐ 何と怖い瞬間 昔はこうでなかったのに つい愚痴を言いたくなる
ある日 診療所を出ようとすると 九〇歳くらいの女性が娘さんに手を引かれて 出口の階段を降りようとしていた しっかり右手は娘さんの手を握りしめ 右足は階段の下まで届いたが 左足は一段前で止まったまま動かない 「早く 早く 左足を一歩降ろして」 娘さんは何度も叫んだが どうしても動けない
私はそのお年寄りの気持ちがわかった 左足を動かすのが怖いのだ 高い樹上から飛び降りるような気分なのだ と その人は震える左手を私の方へ差し出した 左手をしっかり握り「大丈夫ですよ」 私に支えられて左足を階段の下へ降ろすと 娘さんに連れられタクシーに乗っていった
「こんな私でも人の役に立つことが出来る」 いまにも降り出しそうな曇天に向かって 何やら清々しい気分で ほっと息をついたby ドレミ・どれみ 澪49号(千葉詩人会議発行)より お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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