故 茨木のり子様へ
1年か・・・ 敬愛してやまない茨木のり子さんの訃報が紙面で伝えられたのは昨年の2月19日のことだったショックだった・・・いたたまれない思いで、このとはずでも茨木さんの詩を立て続けに取り上げたっけ・・・代表作でもあり、吾の志でもある『自分の感受性くらい』を取り上げた日記のコメ欄にカナブンさんから寄せられた情報!本日、2月17日山形県鶴岡市にある浄禅寺(菩提寺)にて地元の方達による“一周忌の集い”が行われるそうな行きたかったなぁ・・・吾、今日はブライダル司会者さんだぁ・・・この1年、何かにつけて茨木さんの詩に依りかかり続けてきた吾である事あるごとに『自分の感受性』を省みては戒めの繰り返しでまだまだ『依りかからず』の精神には到達できない吾であり・・・今日からまた、あなたの思いを感じ取り心新たに日々、精進してまいりまする茨木のり子1926年大正15年6月12日 大阪府に生まれる多感な学生時代は戦時下の動乱に巻き込まれ空襲・飢餓などに苦しむが、何とか生き抜き20歳の時に終戦を迎えた詩人で御馴染みの谷川俊太郎や、吉野弘を同胞とし女流詩人にして童話作家、エッセイスト、脚本家として執筆活動に明け暮れる毎日・・・2006年2月19日 茨木さんの死亡が、新聞紙面、ニュース等で報じられた最後まで一人で気丈に生き抜いてきた茨木さんらしい最期・・・『このたび私……この世におさらばすることになりました。これは生前に書き置くものです。……「あの人も逝ったか」と一瞬、たったの一瞬思い出して下さればそれで十分でございます』既に遺書は用意されており、尋ねてきた親戚が寝室で亡くなっている茨木さんを発見親族によると2月17日から連絡がとれず19日に訪ねると寝室で亡くなっていたくも膜下出血で転倒し頭にけがをしながら、自力でベッドに横たわりほんとに最期まで気丈にそのご生涯をまっとうなされた茨木さん。享年79歳・・・最期の瞬間まで自分の感受性を守り、貫いたご生涯に心から敬意を表しただひたすらに両の手をあわせて感謝申しあげまする 【 微志 】≪ 茨木のり子・追悼語り日記 ≫は↓こちら茨木のり子さんの逝去日に・・・(語り8)『 汲む 』 (語り10) 『 わたしが一番きれいだったとき 』 (語り11) 『 小さな娘が思ったこと 』(語り12)画像提供:たかしさん記:2007.02.17 00:23:252006年の16日は一休入魂(語り7)2006年の18日は誰?2006年の19日は雨水だから・・・弥々*とはず語り・語りBar ではいつでもお気軽に、語り音声日記が楽しめまするどんぞお気軽に、お立ち寄り下せーまし とはず別館Goo-net編 も熱い思いを更新中!