カテゴリ:雑談
アメリカ産牛肉が2年7ヶ月ぶりに解禁されるそうです。私は食べ物に関しては用心深い方ではないので、たぶん吉野家に行くとは思います。アメリカ人がBSEで人がバタバタ死んでいるのならさすがに食べませんが、そんなことはないみたいですし。 日本の牛肉も含めて、検査さえすれば100%安全なのかと言われると、そこまではよくわかりません。プリオンみたいな病原菌でもないたんぱく質の危険性は評価が難しいと思います。輸入再開が正しい判断だったのかどうかは後世の人達しか判断できないでしょう。 安全性や医療の問題は、時代とともに変化します。 タイトルに書いた安部英氏は、HIV訴訟で患者団体から「日本でHIVが血友病患者に広がったのは安部氏の責任が大きい」と訴えられました。ただ安部氏は1審では無罪でした。1984年というHIVが医学会でも完全には認められていなかったあの時代背景を考えると、個人の責任にするには厳しすぎるということだと思います。もちろん原告やジャーナリストにとっては「当時安部英氏は危険を認識していたはずだ」と裁判結果に憤ったと思いますが。 タイトルに追加した森鴎外は文学で有名ですが、実は医者として安部英氏と同じような重大な判断を行う立場に立たされました。彼は陸軍軍医の最高責任者として脚気の感染症説を執拗に唱えたことで有名です。脚気は当時が原因がわからず、栄養不足説(海軍、高木兼寛)と感染症説(陸軍、森鴎外)で論争が起きていました。今では脚気はビタミンB1欠乏による栄養障害と誰でも知っていますが、当時は原因不明だったんですね。 当時は日露戦争の最中で海軍は高木兼寛の意見を採用し、白米のみの食事を止めました(白米はビタミンB1を含まない)。結果として海軍での脚気の死亡者はほとんどゼロでした。一方陸軍は森鴎外の意見を採用し、脚気により3万人近くを犠牲にした(死亡者が3万人、罹患者は25万人)と言われています(数字はウィキペディアより)。鴎外は最後まで頑固として脚気細菌説にこだわり、犠牲者を拡大させたと言われています。 今の時代だったら森鴎外は更迭どころか、たぶん殺人罪で軍人遺族に訴えられたんじゃないかと思います。懲戒免職で職を失い、とても文学作品を世に問うような生活はできなかったんじゃないかと思います。 それにしてもいくら明治時代とは言え、陸軍だけで3万人近く死亡しておいてなぜ森鴎外の責任が追求されなかったのか不思議です。たぶん遺族には「戦場で勇敢に戦った戦死」ということで説明され、問題自体が認識されなかったんじゃないかと思います。 「最後の一句」を森鴎外が書いたというのは、ある意味皮肉な事かもしれません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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