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カテゴリ:お気に入りコミックス・アニメ
前回のつづき:旧人類(=私たち?)の文明が「火の七日間」で自滅し地球環境を破滅へ追いこんだとき、彼らは浄化する生態系を作り出し、①「墓所」での自己保存と浄化後の再生、②汚染環境に適応した新人類を作り浄化の生態系に放つ という2つの生存策を同時に実行して未来への賭けとしました。
どちらの人類が生き延びるか。または、どちらも滅ぶか。どちらも生き延びて共存社会を作るか(作るとしたらどんな共存か)。これは壮大な実験のようでもあります。 ここでは私は、いつも引き合いに出す『ワン・ゼロ』や光瀬龍『百億の昼と千億の夜』などに出てくる、宇宙規模の神々の実験という考え方を思いだすのです。 竹宮恵子『地球(テラ)へ』でもいいです。ラスボス、グランドマザー・コンピューターは、破壊された地球環境を再生するにあたり、コンピューターに管理される人類のほかに、管理の枠外の超能力者(突然変異=ミュー)の誕生因子をわざと排除しなかった、という筋立てがありました。再生した地球に住むにはどちらがふさわしいか、賭けであり実験だったのです。 そして、管理され自立できない人類ではなく、新たに生まれ自力で生き抜くミューたちの勝ちだ、と管理社会の代表キースは最後に悟るのでした。 ナウシカ世界でも、ナウシカ(そして作者)は、新たに作られ汚染された地球で必死に生き延びようとあがく自分たちこそ、生命のあるべき姿だ、と叫び、「墓所」に保存されている旧世界の人類と文明をはっきりと拒んで破壊するのです。 蟲や蟲使い、粘菌、そして旧世界の最強兵器「巨神兵」さえも愛おしむナウシカが、自分たちの生みの親である旧世界の文明人(の幻影)に対してだけは、容赦しません。 清浄な環境で再生することを面と向かって拒み、巨神兵に天の火(=核兵器のようです)を放たせ、みずから血(旧世界文明の精髄である青い体液)まみれになって、旧世界とのつながりを断ち切ります。 わたしは /世界を亡ぼした /火を /再び使ったのです 自分の /罪深さに /おののきます わたしたちのように /凶暴ではなく /おだやかでかしこい /人間となるはずの /卵〔を死なせて〕 ーー宮崎駿『風の谷のナウシカ』第7巻 ナウシカが自分の罪深さを自覚してなお、前へ進むのは、親を乗りこえて自立していくすべての生物の本質を尊重しているからです。 古代の王権の「父殺し」や、精神的な発達段階としての「親殺し」=親離れ。 私たちも親世代から古い秩序を押しつけられ、それに反発し、そのうち前を向いて「誰から生まれたかは選べないけど、これからどう生きるかは自分で選び取るんだ!」と叫びながら自立していく。 「親」は拒まれ殺されることによって、生き延びる次世代の糧になり、そうやって次々と生命は受け継がれ、環境にもまれながら変化し続けて(=適応)、続いていく・・・ 突然変異で生まれたミューが、「危険」思想を「浄化」=洗脳されることを拒み、たくましく自分たちで未来を切りひらこうと戦い続けるように。 けれどもちろん、それは修羅の道であるわけで、(映画版『ガンダム めぐりあい宇宙』の)セイラの、 でもオールドタイプがニュータイプを生む土壌になっているのではなくて? 古きものの全てが悪しきものではないでしょう? という叫びも、真実の声ですね。 ナウシカも、旧人類が1人でも生きていたら、その人を殺すことはできなかったと思います。実際、浄化の庭のあるじ(ヒドラだけど)を、拒みはしても殺そうとはしなかったし、巨神兵オーマを意図せずして手なづけ結果的に死に追いやったことには、自責の念というか、非常に心をいためています。 ナウシカにとってぎりぎりラッキーだったことに、浄化はまだ完成しておらず、「墓所」にいたのは旧人類の「影」と「卵」でした。 ・・・というふうにいろいろイメージ・サーフィンしながら、『風の谷のナウシカ』コミックス版を楽しむことができます。良質なファンタジーは、この世の真理を垣間見させてくれるのですね(トールキンの受け売り)。 このような、「浄化」や造物主的存在の意図を拒み、自由意志で生きていく人間の本質は、ほかにオールディズ『地球の長い午後』のラストシーンなどでも印象的です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
September 21, 2020 01:19:31 AM
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