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HANNAのファンタジー気分

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March 21, 2022
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 先日のTVでじつは初めて観ました、宮崎駿を世界に知らしめた?作品「千と千尋の神隠し」。なるほど様々な宮崎作品の縮図みたいで、♪いつも何度でも~、細部まで観たくなる作品ですね!

 まず最初の場面で「となりのトトロ」と対照的。心を通わせあいながら期待に満ちて楽しく引っ越していく「トトロ」の父と姉妹に対して、千尋は両親はいるけど会話はバラバラで心が通っていない感じ、引っ越しも転校もイヤで無気力です。
 どちらの物語でも、新居は異界と隣り合わせなのですが、接し方が違います。神々の領域である異界へ四駆で乱暴に近づき、その先では無断で店のものを食べるなど、敬意の足りない千尋の両親は、「まだ挨拶に行ってなかったね」「メイがお世話になりました」と社や神木を敬う態度を見せるトトロのお父さんとはこれまた対照的。
 これは個人的な問題というより、トトロの時代(昭和28年~30年代初め)と千尋の時代(2001年)の、異界に対する日本人の一般的な態度の差でしょう。むかしの日本人は異界や人外のもの(たとえば神々、キツネなど動物、妖怪)を身近な存在として受け入れ、一定の敬意を払っていたのに対し、現代の私たちは、知識はあり(「神さまのおうちよ」と母が千尋に教えている)興味本位で近づくことはあっても、本当は信じていないし礼儀を知らない。
 異界の不思議な雰囲気に触れても、お父さんはバブル崩壊でうち捨てられたテーマパークだ、などと解釈するのです・・・そんなわけないことに、気づかないんですね。
 お母さんも、妻として母として”日常的に”叱ったり気にしたりするばかり。非日常の世界に来ていることにやはり気づかない。

 ただし、非日常の異界といっても千尋が迷い込んだあたりはまだ入り口近くのようです。そこは昭和初期風の店が並んでいたり、サツキやアジサイが咲き乱れる小道をぬけていくとトウモロコシやマメが花をつけた畑があったり・・・、宮崎駿世代にとってはなつかしい、トトロ時代の日本の田園風景が広がっています。
 21世紀少女の千尋にとっては新鮮に感じられるであろうこの景色を、宮崎駿は自分の原風景として見せたかったのではないでしょうか。

 「トトロ」では家のそばにオタマジャクシなどが居て豊かに流れている小川がありましたが、千尋の迷い込む異界の川はさいしょ涸れていました。そして夜になると水が流れ、海のようになって、その向こうから御座船で神さまたち(コミックス版「ナウシカ」の土鬼みたいに顔を隠していますね)がやってくる・・・宝船でやってくる七福神みたいに。
 ユング心理学によると川(水)は無意識(たましい)の領域を表しているそうですが、八百万の神々は無意識の彼方に住まい、現代人の精神生活ではそこへ至る道は涸れているが、夜(夢?)には川や海や沼が現れ、昔の神々や精霊たちとの交流がわずかにある、ということでしょうか。

 また、無意識の彼方へは鉄道も通じていて、古風な列車の中の様子や、切符が要るところ、車窓の闇に夢のように光るネオンサインなど、(多くの人が指摘しているように)宮沢賢治『銀河鉄道の夜』へのオマージュですね。どちらも、たましいの領域に通じる鉄道で、行きはよいよい、帰りは困難。
 釜爺が「昔(40年前)には戻りの電車があった」と言ってますから、トトロの時代に近い頃には、日本人は隣接する異界から無意識の深いところまで行って神々と交流し、また帰ってくることができたのでしょう。現代ではそのたましいの領域との行き来が難しくなっているということですね。

 あとで出てくる、銭婆が静かな自然の中で手仕事をしている家のある「沼の底」は、深層心界の底であり、これが宮崎駿のイメージするもう一つの原風景なのでしょう。西欧風ですが、まだ工業化や近代化が進む前の暮らしがそこにあります。
 
 湯婆婆は、アルターエゴ(分身)である銭婆と離れ、意識界と無意識界のはざまにある油屋を経営していますが、広大な無意識の海にくらべ町というにはちっぽけで昼間は廃墟です。そして温泉ランドのような店の従業員もカエルだのナメクジだの、レベル的には下位の精霊たちです。
 そして、ハクは、古事記風の名まえを持ち、祀られ敬われてよいはずの川の神さまなのに、現代ではマンション建設で埋め立てられてしまった小川の精霊です。私の思うに、ハクが湯婆婆に弟子入りして魔法を習おうとしたのも、現実のコハク川が失われて霊的存在の危機となったため、何とか力(存在)を取りもどそうと思ったのではないでしょうか。
 もう1人の川の神も、ゴミにまみれて腐れ神となってやって来るあたり、現代の危機的環境を表していますね。千尋の時代、人間と交流できる“となりの異界”は、もはやトトロの時代のような生命力と広がりを失い、狭く小さな孤島のような存在になってしまっているのでしょう。

 千尋の迷い込む異界は、人間に忘れられた八百万の神々が遊ぶ、意識と無意識とのはざまの小さなワンダーランド。それは、おもちゃでいっぱいの坊の子ども部屋(ハウルの寝室みたいですね)にも似ています。
 神々は神威をふるったりするかわりに、無意識の彼方からやってきて昔の夢に遊ぶ。千尋にとっては成長のきっかけになる不思議の国での体験も、宮崎駿世代にとってはノスタルジーのこめられた古いおもちゃ箱をあけて自分の存在確認をしているようです。そして、千尋の両親世代である私HANNAにとっては・・・、カオナシになってうろうろしたり豚になっているしかないんでしょうかねえ。





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Last updated  March 21, 2022 01:25:18 AM
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