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カテゴリ:映画と原作
ジブリから分かれたスタジオポノックの第1作「メアリと魔女の花」ですがーー、キャッチコピーが良くなかったので、そして先日TVで観てみたらほんとにキャッチコピー通り、「魔女、ふたたび」、つまり二番煎じで、つまんない感じがしてしまいました。
日本だとどうしても「魔女の宅急便」のキキとジジが突出しているため、メアリはその真似みたいに見えるのでしょう。でも、箒に乗って黒猫を連れた魔女とは西欧圏の魔女の定番なので、それは真似というよりオーソドックスで、大変結構だと思うのです。 気になったのは、同じ新米魔女としてキキとの違いを出そうとのでしょうか、メアリが「トトロ」のメイみたいになってしまっていることです。好奇心のかたまりのやんちゃで天然な子供。それが冒険をして責任感とか思いやりを身につけて・・・みたいな、これが何か、キキよりありきたりな展開なので、期待が裏切られてしまうのです。 魔法大学エンドアの描写も、普通にポップでファンシーで、遊園地とかゲームの世界とかで見飽きた感がありますね。魔法学校というとまたどうしても「ハリー・ポッター」を先に知りすぎているし。ポップでファンシーよりお化け屋敷ぽい方が、魔法学校にはふさわしい雰囲気ですよね。 でも、もとジブリのそうそうたる方々が創ったのだし、何か魅力の核心があるはず。そう思って、原作を読んでみました。というのも、原作はわりと古い(HANNAの子供の頃の)作品で、ノスタルジックなインスピレーションを感じたのです。 映画以前に訳本も出ていますが(上右画像)、私は表紙絵(右)が気に入った原作「The Little Broomstick」を電子版で読みました(電子書籍だと難しい単語の解説や辞書をすぐ見ることができて、便利です)。 で、感想ですけど、古き良きイギリスの田舎(カントリーサイド)と古き良きおとぎ話(fairy tale)、そしてレトロモダンな(70年代の作品ですから今読むとそう思える)感じも混じった、ステキな逸品でした! 主人公メアリはやんちゃではなく、ごく普通(plain=「平凡」ですね)の、おとなしくて真面目で目立たない少女です。原作の眼目は、貧乏くじを引いて田舎に預けられたと嘆く普通の子メアリが、魔女の花と箒を見つけて、一晩だけ普通でない秘密の冒険をする、そのすばらしさにあります。 物語の舞台は、アニメでは描き切れていない気がしますが、英国ならではの田舎の古い館で、灰色の秋の午後から始まっています。シュロップシャーとありますから、もうウェールズに近いですね(私の大好きな「ドリトル先生」の家もシュロップシャーです)。 赤れんが屋敷と呼ばれ、庭には芝生、樹木、ツタ、そしてブロンズ色などにしおれたキクに、深紅や琥珀色のダリアなどのある花壇。そして生垣から広大な森へ。荒涼として人気なく、空は灰色の外套、または真鍮の色。さしこむ日光は淡い金色。これらの色合いだけでも、本格英国調の渋い風景画みたいです(私はめるへんめーかーの絵を思いだしました)。 住んでいる人も、いかにもです。耳の遠いおばさまは刺繍をしているし、女中さんは訛って呪文のように聞こえるレシピをつぶやきながら料理をします。方言ぽい英語は、言ってること自体は簡潔なのでなんとなく意味が分かります。 庭師のゼベディさんもすごい訛りで味があります。彼の風貌の細やかな描写もすばらしいですが、中でも、コマドリのような明るい年取った目、というのが嬉しいーーこういう目は、ケルト伝説の妖精の目によく出てくる目なんです。 原作のメアリはとても行儀良く、どちらかというとおどおどしているのですが、屋内では静かにと言われ、台所でも庭でも手伝いを断られたり失敗したりして、一人森へ向かいます。これも典型的ですが、10歳というプレ思春期の子供にとっては、家族と離れ、家と離れ、手持ち無沙汰で一人ぶらぶら行った先に、ファンタジーは待っています。 以前にも描きましたが、英国そして日本の昔の風景は、そのまま異界や魔法をはらんでいるのが、すばらしいです。オークの根方の水たまりにアザミの綿毛が浮かんでいたり、キノコがあったり、緻密な描写のうちに、だんだんと神秘的な感じが強まっていき、黒猫ティブが現れてメアリを魔女の花へと導きます。 視覚的な描写のほかに、音も、かさかさ言う落ち葉、ひゅうひゅううなる嵐の晩に妖怪じみた怪しい音が色々してきたり、雰囲気があります。 翌日、メアリはまだ屋敷の日常に居て、見つけた箒で、吹き散らされる落ち葉を集める手伝いを一生懸命しようとします。そしてーー、自分から冒険に乗りだしたというよりは、魔女の花で活性化した小さな古い箒に誘拐されて、空へ飛びたちます。 魔女の花「夜間飛行」は日本語の字面にするとおしゃれですが、英語 fly-by-night は、調べてみると「夜うろつくもの」「夜逃げする人」「信用できない、あやしい者」なんて意味です。 この冒険をお膳立てした黒猫ティブの名も、中世フランスの動物寓話『狐物語』に出てくるずる賢い雄猫ティベールがもとだそうで、魔女の使い魔ではなく、猫らしい孤高の賢さを持っています。 (ギブの方は映画では雌猫と思われますが、実は gib の意味には去勢された雄猫、というのがありました!) ちなみにメアリがさらわれるようにしてやってきたエンドア大学の校長は魔女ですが、エンドアの魔女 witch of Endor とは旧約聖書に出てくる霊媒師。 こんなふうに、原作だと固有名詞の背景なんかも探れて楽しいです。各章のタイトルも、すべて、マザーグースなどの童歌や慣用句が使われています。マザーグースは、エンドア大学で生徒が習っている呪文の中で、奇妙にゆがめられた替え歌となり、それはマンブルチュク校長とドクター・ディーの危険な「生物を変身させる研究」で生み出された奇形の生き物たちを暗示しています。 エンドアの描写も古風な風変わりさで、ポップでファンシーよりはぐっと渋めです。まあ、主人公も舞台背景もそんなでは、やはり日本の子供たち向けの映画にはしにくいでしょうね、地味すぎて。 フラナガンの箒談義や、後半の息をつかせぬ箒のデッド・ヒートは、この物語のレトロモダンな面白さです。特に箒談義には百貨店のハロッズなどが出てきて、日本の子供にはわかりにくいでしょうね。 エンドアからの脱出行と逃亡は、映画のように複雑なくり返しはなく、魔法合戦もありません。ただただ小さな箒が頑張って飛び、途中から少年ピーターも加わって単純でわかりやすいトリックを使ったり、低空飛行したり、それでもハラハラドキドキの迫力です。 現実世界近くまで来ると、霧が出現。局所的な濃い川霧で、妖精譚に出てくるお定まりの異界との境界ですね。疾走するシカや群れ飛ぶ小鳥たちなんかも、イギリスの大自然!です。 そんなわけで、イギリス好きな人にはお薦めしたい原作でした。 ついでに、もっと古典的な魔女と黒猫と箒の話、こちらはイギリスの都会のお話『黒ねこの王子カーボネル』もあります。読み比べるといっそう楽しいかもしれません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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