テーマ:政治について(20123)
カテゴリ:世界を見る切り口
昨日1月29日は、太陰暦の新年だった。
バンコクでも朝から爆竹の音が響いた。 皇室典範をひょろっと変えられるくらいなら、 「建国記念(の)日」の日付も変えてほしいと思っている。 「太陰暦にもとづく元旦」が神武天皇即位の日だった。 (いわゆる西暦でいう紀元前660年の即位というのは 壮大なフィクションとしても。) 明治のはじめに 太陰暦を完璧に排除するのでなく、 いまの中国ていどに太陰暦の世界も並存させ、 太陰暦の新年の祝いを建国の祝いとセットにしておけばよかった。 そうしたら、もっとすなおにお祝いができたのではないか。 国民の祝日のなかで、唯一、 太陽暦上は毎年日付の変わる日となるが、 伝統の祝日をうまく残す方法だったはずだ。 周辺諸国とともに祝日を楽しむことができたはずだろうに。 伝統を消し去ることなく、 近代の表層の下にしっかり残すというのは 日本のお家芸だし。 それなのに、 西暦でいう紀元前660年に建国という壮大なフィクションをベースに 太陰暦の元旦を太陽暦に直したものだから、 2月11日などという中途半端な日付が 建国記念の日になってしまった。 「年が改まる日をもって即位した」 ということこそ本質なのに、 明治政府は まことに官僚的に 「そのとしの太陰暦の1月1日」 → 「太陽暦の2月11日」 という計算にすべてをゆだねたところで ボタンの掛け違いをしたのだ。 西暦の紀元前660年に即位というのは100%フィクションだが、 「何らかの年の太陰暦の元旦に 天皇家の初代のかたが即位された」 というのは これはきわめて「ありうる」ことなのだ。 だって、天皇家にもかならず初代があり、 初代のかたが即位された日もかならずあるのであり、 即位されるには何らかの特別な日を選ばれたでしょうよ。 それが太陰暦の1月1日だったというわけさ。 明治の人々にすれば、 National Foundation Day が 西洋人の目からみて年によって日付が変わるというのは、 とっても具合の悪いことだったのだろう。 だから、フィクションであることもいとわず、 西洋の論理でもって律儀に日付計算して 2月11日という日をきめた。 ナショナリズムの発露であるはずの National Foundation Day の決め方じたいが、 西洋の論理に屈服しているわけで、 日本文明史上ゆびおりのアイロニーというしかない。 そういう日本文明の悲劇を噛みしめる日として わたしは2月11日という日をとらえている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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