テーマ:政治について(20123)
カテゴリ:世界を見る切り口
「乞食」はもちろん昔からいた。
江戸時代の屏風絵に ヒゲぼうぼうで茶灰色のボロをまとった乞食が 街角にうずくまっているのを見たことがある。 これが、 青いテントやダンボール紙の住いに住むようになると、 「ホームレス」と名が変わる。 乞食はどこへ行ったのか。 乞食はひっそり生きるべきものだと思うが、 世の中の常識がゆがみつつある。 そういうときだから、 『北國新聞』2月2日号のコラム「時鐘」のような文章に 座標軸を確認してもらうと、ほっとする。 以下、長いが全文引用。 (『北國新聞』は、コラムも社説も当日しかネット上で読めないので。) ≪大阪城公園を歩いたことがある人なら分かるだろうが、 ホームレスの青テントがすさまじいまでに多く、 天下の名城は台無しである。 先ごろ大阪地裁が、 テント生活をしているホームレスの訴えを認め 「公園を住所」とする判決を出した。 翌日には大阪市が行政代執行法に基づき テントの強制撤去に乗りだした。 支援者が掛けつけて大騒ぎになった。 二つはそれぞれ別の話だが、 どちらが法治国家に必要な判断かは一目瞭然である。 自治体のサービスを受けるために 住民登録がほしいことは理解できても、 公共の場所を不法に占拠しているのを 住所と認定することとは別だろう。 裁判官には裁判官の法解釈があるに違いない。 が、国民が持ち合わせる社会秩序を守る常識とバランス感覚には欠けている。 支援者も不法占拠から抜け出る手助けをしてこそ 支援になる。 小欄でたびたび指摘してきたが、 少数の変わり者が全体を引きずり回す日本社会の縮図を見る思いの出来事だった。 行政が教訓とすべき点もある。 大阪のあのテント群も一夜で生まれたものではない。 初期対策に腰が引け、 今まで黙認してきたツケが回ったのである。≫ 世間には、社会が傷つき膿を出して苦しんでいるところに ハエのようにたかることで 自己存在証明を得ようとする人々がいる。 だから、 社会の傷は、 救急箱持参でこまめに治していかないと。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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