カテゴリ:ぼくの食堂
ドジョウの話になると、
大学生のころ東京を訪ねてきた骨董好きの父をドジョウ鍋の店に連れていったときのことを思い出す。 何でも残さずに食べろといって、 東京の立ち食いソバの濃い醤油だしまで無理して全部のんだ父だった。 家では白菜の一夜漬と煮干とモロミ味噌で食事を済ませてしまう父だった。 江戸情緒を売りにしたドジョウ鍋の店を喜んでもらえるかと思ったら、ドジョウの小骨が口のどこかに刺さってしまったのか、 「せっかく案内してもろたんじゃが、ドジョウは小骨が多(おお)て、いかんわい」 と言って箸が進まず、鍋の大部分をぼくに食べさせた。 申し訳なくて、今でも「どぜう」の俳句を目にするとその日のことを思い出す。 今になって思えば、 自分が食べられなくても息子がむしゃむしゃ食っている姿を見られれば、まぁそれでいいか という父の心であったか。 うちの場合、超雑食性の自分が食べられないものを娘がぱくぱく食べるというパターンはありえないので、 あのときの父の気持ちをぼくは体験できない。 突然ドジョウ鍋のことを書いたのは、 『北國新聞』6月25日のコラム「時鐘」に、金沢名物のドジョウの蒲焼への言及があったから。 台北の旅先のホテルで、ふと昔を思い出した。 洒脱(しゃだつ)なコラムだ。 ≪温泉施設爆発という痛ましい事故の引き金になった「南関東ガス田」なるものが、首都圏の地下深くにあるとは知らなかった。 専門家なら常識、と聞いて2度驚いた。こんな意外な話はよくある。 スーパーに並ぶ中国産のウナギも、実は欧州生まれだった。 大西洋で産湯(うぶゆ)を使ったかば焼きに、お世話になって久しいのである。 これも、EUが稚魚輸出規制を決めたことから、地球を半周する流通が広く知られるようになった。 洋服やワインならともかく、ウナギに欧州生まれのレッテルを付けても、ハクは付かない。 それにしても、飛び切りのごちそうだったウナギが手軽にわれわれの口に入るようになったのは、亭主の稼ぎが良くなったからでは決してなかった。 金沢や福光には自慢のドジョウのかば焼きがある。 県外の人に薦めると時折、「どこがおいしいの」といった顔をされる。 たれのうま味はあるものの、骨やら焦げやらも一緒くたの食べ物である。 それが美味なのは、幼いころからの夏の思い出が、一緒に舌の上によみがえるからであろう。 美味は旅を嫌うという。 地物にまさるごちそうはない、と教えてくれる夏の味である。 ≫ 「美味は旅を嫌う」と旅先で言われてもね……とおもうが、 ここ台北で、わたしも所詮は旅のひとだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
Jun 27, 2007 09:24:54 AM
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