テーマ:中国&台湾(3305)
カテゴリ:ぼくの食堂
わたしの母の実家は「寿し治」(すしはる)という寿司屋だった。松山市の繁華街の二番町の小さな通りにあった。
その辺り、昔は北京町といった。「ぺきんまち」ではなく「きたきょうまち」と読む。 町名整理で地図から「北京町」は消えたが、「きたきょうまち」という華やいだ響きはなんともいえず好きだ。 わたしが9歳ごろまでは「寿し治」の経営も順調だった。 休日になると時々家族でお邪魔した。 勝手口から入って裏の座敷にあがると、そのうち「ぬく寿司」(蒸しせいろ寿司)や「伊達巻寿司」(海苔の代わりに厚焼き玉子で巻いた大ぶりの寿司)を出してくださったものだ。 おいとまの時間になると、近くにあった当時松山一の中華レストラン「泰平楽」(たいへいらく)の熱々の焼き餃子を発泡スチロールの小さな平箱入りでおみやげに下さったことが何度かあった。 なにしろ40年前で、冷凍餃子など売ってなかった時代だ。 ぱりぱりの皮をかじると肉汁が出てきて、肉粒が舌の上で踊ったのを今でも覚えているから、よほどうまかったのだ。 いつもは「何を食べてもおいしいんじゃがね」と言って、食事は好き嫌いなしに残さず食べろという父が、泰平楽の焼き餃子に限っては 「子どもに食べさせたかて味なんか、よう分からんのじゃけんね」 と言って、1個しか食べさせてくれなかった。 いちど、母が餃子の皮を買ってきて手作りの餃子を作ってくれたことがあった。 どんな味だったか覚えていない。 そのあと何度も「手伝うけん、餃子作ってや」とせがんだが、 「餃子の皮つつむんは、むずかしゅうてねぇ」 と言って、けっきょく二度と作ってくれなかった。 母の準備する食卓に餃子がのぼりはじめたのは、スーパーで冷凍ものが買えるようになってからだった。 さて、餃子をたらふく食いに何度も通ったところといえば、広東省珠海市の新開地にある雑然とした水餃子の店。 10年近く前のことだ。 「豚肉餃子」や「豚肉+白菜の餃子」が定番だが、わたしが愛したのは「羊肉餃子」に「セロリ餃子」、「酸白菜餃子」。 「羊肉餃子」は、頬ばるとあたかも濃厚なバターの香りが口に広がる。 「セロリ餃子」 (“芹菜餃子”) は、しゃきしゃき感の残るセロリ入り。 セロリにはうっすらと塩味がついていた。塩茹でにしてから刻んで餃子に包んだのだろうか。 セロリのさわやかな香りが食欲をそそった。 「酸白菜餃子」は、乳酸発酵させた白菜漬を刻んで餃子の具にしたもの。 これまた、うっすらとした酸っぱみが口をさっぱりさせてくれて、さあもう2つ、あと3つ、ぷるりぷるりとした水餃子を運ぶ箸が止まらなくなるのだった。 農薬入り餃子の報に 「それみたことか」という評論はすでにたんと書かれているので、泉流としてはいささかの思い出を書かせていただいた。 問題の「天洋食品」は中国河北省石家荘(せっかそう)市にある。 ちかぢか築地の人民日報が、毒消しに「石家荘大虐殺」捏造記事でも書くのではないかと、半分本気で心配している。 今回の一件がめぐりめぐって中国共産党と軍の権力闘争の材料にされ、真相追究が遠のいたりせぬことを祈るばかりである。 中国の食の安全に信頼感が置けない根本の理由は、かの国の言論統制にある。 危険食品についての報道が中国で自由化されて、悪質業者があっというまに市場の批判にさらされる“普通の国”になれば、業界はかなり浄化されるはずなのだが。 言論統制の体質を変えぬかぎり、中国共産党の役人がテレビカメラの前でどんなきれいごとや強がりを言っても信頼回復にはつながらない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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