カテゴリ:世界を見る切り口
直接に教えをうけたことはないが、「大野 晋氏」「大野 晋さん」などとはとても呼べない。
7月14日に亡くなられた大野 晋(おおの・すすむ)先生は、ぼくにとっては名著『岩波古語辞典』の編纂者として輝きつづけている。 ぼくが中学生のころ、34年前の昭和49年刊行。 盛り込まれた語源解説も新鮮だったし、中世・近世語が充実していたのも当時としては一大特徴だった。 巻末付録の助詞・助動詞解説を読みふけった。小さい文字も苦にならなかったころだ。 十数年前に古本屋で机上版を見つけて、またじっくり読ませていただこうと購入した。 が、最近は全ての用例に現代語訳をつけた古語辞典がいろいろ出ていてこれが使いやすく、岩波古語辞典は縁遠くなってしまった。 かつて岩波書店は、斬新な編集方針の辞典を多く出していたものだ。 『岩波古語辞典』や『岩波日中辞典』(昭和58年刊)が、岩波の最後の光芒(こうぼう)だった。 ■ 物議? 学説? ■ 古代日本語の仮名遣いの研究者として安穏な一生を送れたはずの大野 晋先生が、あえて自ら火中に栗を煎り、南印度のタミル語と古代日本語の関係を語り始められたのには、参った。 7月15日『産経新聞』の死亡記事には ≪日本語とタミル語の関係を指摘して物議をかもした。≫ とある。 「物議をかもした」は、ひどいなぁ。 7月15日の『日本経済新聞』は ≪南インドのタミル語が古代日本語の起源に深いかかわりを持つとの学説を打ち立てた。≫ 「学説を打ち立てた」とまで、言えたろうか。 大野先生の新説が発表されたころ、週刊誌の写真特集で、タミル語を話す農村の光景が紹介されていた。 注連縄(しめなわ)や餅つきの習慣が、なるほど日本と似ているかな……と思わせた。 地理的にも話者の人種的にもあまりにかけ離れたタミール語と日本語が「直接に関連する」という説だったから、世間は受け入れなかった。 大野 晋先生が、雲南省あたりに「ミッシング・リンク(失われた連環)」を想定していたら、状況は変わったのではないか。 ■ 雲南省に「祖語」の存在を想定していたら ■ 英語とサンスクリットが「直接に関連する」と言ったら狂人扱いされたろうが、その間に失われた印欧祖語を想定することで立派な学説となった。 「雲南省に、失われた祖語があったはずだ」 という学説だったら、どんなにかロマンをかきたて、雲南の地の諸民族に日本人が斉しく思いをはせるよすがになったと思うが。 雲南省の諸民族の立ち居振る舞いや町並みの風景は、テレビで見ていても実に親近感を感じる。 「日本語の失われた祖語のひとつは雲南省にあり、タミル語もその祖語を起源としている」 という料理であれば、世間に受け入れられたのではなかったか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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