カテゴリ:これは、おもしろい
この1篇の爆発的おもしろさを皆さまと分かち合いたくて、井筒 周(いづつ・めぐる)さんの配信 「ボストン読本」 最新号を転載します。
こんなに深ぁ~い爆笑は、久しぶりでした。 ◆■◆ ヒップホップダンスの勘違い ◆■◆ 今月から中学校の体育の授業で 「ダンス」 が必修になって、ヒップホップダンスを教える学校があるという記事が日本の新聞に載っているのを読んで、私はぶったまげた。 しかも 「学校でヒップホップダンスなんか教えるのはけしからん」 という話ではなくて 「学校もかっこよくなってきた」 「子供たちも大喜び」 みたいな話になっているので、ますます、のけぞった。 この驚きをどうたとえるか。 もし、アメリカの中学校で、どじょうすくい (安来節) を教えているとしたら、日本人なら、かなり驚くだろうけれど、まあ、それに似た驚きと言ったらいいかな。 ■ 不良の文化 ■ 日本の踊りのなかで、どじょうすくいが非常に特殊なものであり、またたいていの現代日本人にとっては 「宴会藝」 という意味合いが付着しているのと同様に、 ヒップホップも非常に特殊で、しかも強烈な意味がある。 ヒップホップというのは、アメリカが発祥の地だが、アメリカで、学校でヒップホップダンスを教えるなんてことはありえない。 よしんば、ヘンな先生がヒップホップを教えたとしたら、生徒の両親は怒り出すだろうし、生徒も 「ぜったいにイヤだ」 と反発するだろう。 なぜかというと、ヒップホップは 「不良の文化」 だからだ。 都市の中心部の貧しい不良たち、しかも主に黒人が作り出したものだからだ。 ヒップホップ音楽であるラップは、暴力的や性的な言葉に満ちている。こういうものは学校で教えるものではないし、反体制・反権力のものだから先生から教わるものでもないのだ。 ヒップホップを先生から教わったら、もうそれはヒップホップでなくなってしまう。 ■ 意味を悟らず、形式だけ学んだ ■ だから日本でヒップホップダンスを教えるな、と言いたいのではない。 べつに外国で不良がやっていることだからといって、日本の学校で両家の子女がそれを学んで悪いことはない。 日本には日本の文化の文脈がある。 そうではなくて、私が思ったのは、 「なるほど、外国の文化というものは、そのものが持つ意味が剥奪されて、形だけが伝播するのだなあ」 ということだ。 日本は古くから中国や西洋からいろんなことを学んできた。 でも、ちょうどヒップホップが 「不良」 という意味を剥奪されてそのダンスの形式だけが伝わったのと同じように、仏教や民主主義、近代科学など外国から伝わったもののなかにも、意味が剥奪されて伝わったのも多いのではないかと、思わずにはいられなかった。 ■ 外国文化の勘違い ■ だからどうしたと言われれば、それだけのことだ。 だが、日本のヒップホップとアメリカのヒップホップが全然意味が違うのと同様に、きっと日本が受容した外国文化には本場のものとは全然意味が違うものも、ものすごく多いのだろうと想像してみたのだ。 「勘違い」 といえば意地悪かもしれないが、もしかしたら、日本の文化の相当部分が、外国文化の 「勘違い」 から成り立っているのではないかと思って、自分の立っている場所が何か頼りなく感じられたのであった。 == 泉コメント: 勘違いできるのも、受容する側にそれなりに文化の蓄積があるから美しい誤解をしてしまうわけですな。 受容する側がまったくの白紙だったら、勘違いの余地もないわけですが。 逆に言えば、受容する側がそれなりの文化・文明をもっているなら、外国文化の受容にもそれなりの意識をもって取り組まないと、ピエロになっちゃうということですね。 では井筒さんの本篇に戻ります ―― == 体育のダンスといえば私の子供のころは 「フォークダンス」 というものがあった。 オクラホマミキサーとか、マイム・マイムとかを覚えている。 あれはアメリカからの輸入品、おそらく戦後の連合国軍総司令部 (GHQ) 経由で入ってきたものだろうが、「フォークダンス」 なるものをアメリカ人がやっているのを見たことがない。 あれは、いったい何なのだろう。 ■ 革命的気分 ■ いまにして思うと、フォークダンスという、まあ、あれほどアホらしいものをよくやらされたものだと思う。やはり戦争に負けるというのはつらい。 しかしながら、フォークダンスには、ただ一点、男の子にとってはものすごく嬉しい点がある。 それは、「女の子の手を握れる」 ということだ。 握手やハグの習慣のない日本で、女の子の手を握ったり、肩に腕をかけることができるというのは、なんという革命的なできごとだろうか。 とくに、オクラホマミキサーなんかは、次から次に相手を変えて女の子の手を握り放題、肩にも腕をかけられるし、乱交状態だ。 わははは、気分はカサノバかドン・ファン、時代が下ってヒュー・ヘフナー (Playboy 誌の発刊者) なのだ。 ただし、あと二人か三人で好きな××さんと踊れるという時に、音楽が止んでダンスが終わってしまったときほど、人生の不条理を感じるときはないけれど。 ■ ふふふふ、いまどきは… ■ 自分の経験を考えると、35歳でアメリカに来てから、男女かわまず握手をするようになったが、それまでに生まれてからの35年間で私が手を握ったことのある女の数といえば、さぁてまぁ百人はいるだろうかね。 百人斬りだな。 しかしながら、その内訳を見ると、フォークダンスで小・中学校時代に手を握った女の子がそのうちの90人以上を占めるだろう。 そう考えると、フォークダンスは偉い。 あるいは私が情けないのか。 ヒップホップダンスのほうがカッコいいかもしれないが、ヒップホップなら女の子の手は握れないのではないかな。 ふふふふ、いまどきの小・中学生の男子は気の毒だな。 ◆ メールマガジン 「ボストン読本」 の無料購読申込みはこちらのアドレスからどうぞ:http://www.geocities.jp/bostondokuhon/ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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