テーマ:読書(8505)
カテゴリ:読 書 録
世間的には、さまよった人、という分類かと思いますが、著者は有能なひとですね。
背伸びをせずに自分の脳で考えてるのさ というメッセージが、たくまずして伝わるひと。 『踊らされるな、自ら踊れ ― 情報以前の知的作法』 西きょうじ 著 (講談社、平成24年刊) 人気者の特権なのでしょう、文章はあちらこちらに、ふらっふららと行きますね。かなりの速度で斜め読みさせてもらいました。 言語習得について、ここは同感。なるほど、通説になっていたのか。 「脳の活性化」 がキーワードだな。そういえば、ぼくもよく使うことば。 ≪最近では第二言語の修得にはどうやら物理的臨界期はなさそうだと言われています。つまり、いつからでも第二言語修得は可能だということです。よかったですねえ。 そのコツはやはり、脳の活性化、つまりドキドキすること、楽しめることなのです。ドキドキして脳が活性化すると、楽しめると、70歳や80歳を超えていても新しい言語を習得できるわけです。≫ (93ページ) 「しなやかな年のとり方」 というコンセプトも、同感。 ≪若さなど羨むものではありません。体力しかないのが若さです。それはそれでよいことですが、しなやかな年のとり方は可能性を広げるものです。 年のとりかたを間違えるから思考が固まり価値観も腐っていくのです。若さを良しとする愚かしい風潮に騙されぬように。≫ ≪なぜ成熟に意味を見出さず、若さを求める傾向が強いのだろう。日本社会自体が成熟を要求している時代だというのに。若い力も大切だが、成熟した大人の存在も重要だ。≫ (245ページ) ぼくも53歳になって、“若い” ときよりずっと豊かで広がりのある生き方をしてるよなって自分で感じるもの。たぶん、これから60代や70代に突入しても、成熟をプラスに使えると思う。 * ところで、ぼくが高校3年生のとき (子供のころ!) 、カトリックの洗礼をかってに受けてしまったとき、ぼくが求めたのは 「理屈なしに従うべきもの」 だった。 当時のぼくは、自分の親の言うことが理屈なしに従うには値しないと確信するに至っていましたから、子供としては親がわりが欲しかったんですね。 (当時のぼくは、日本のうぶなカトリック神父らが三流政治運動に片足を突っ込んだ堕落した存在だったとは知らなかったのです。) ≪子どもには理屈なしに従うべきものが必要だ …… 今の時代には子どもは親や教師をほかの大人と並べて相対化してしまいがちです。そうなると、子どもが確固たるものを内面に持つことは難しくなります。≫ (105ページ) * これも、最近おもっていたこと。西さんが言語化してくれた。 ≪議論は、それによって自分の意見が変わる可能性を認めているもの同士じゃないと、する価値はない。自分の意見を相手に押し付け、相手を言葉で打ち負かそうとする人は、そもそも議論をはじめないほうがいいだろう。≫ (192ページ) たとえば共産党のひとと議論しても無意味、とか、そういうことだけどね。 * 西さんの、空海への言及も、突き抜けてる。 ≪空海の突き抜けかたはすごすぎる。ただただ呆然とするのみ。後日、道を歩いていたら突如目の前に曼荼羅が大きく浮かび上がって怖かった。≫ (222ページ) * 言及された本のなかで、読んでみたいもの: 長谷川英祐 著 『働かないアリに意義がある』 (メディアファクトリー新書) 『強い者は生き残れない』 “The Age of Empathy” 『経済を審問する』 クリストファー・ラッシュ 著 『エリートの反逆』 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
Aug 26, 2012 07:14:25 PM
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