カテゴリ:世界を見る切り口
TIME 誌 11月12日号の投稿欄を見ていたら、「ブータンの牧歌的なところだけに目を向けすぎてないか?」 という指摘があった。
和訳すると、 ≪10月22日号の記事 「幸福の追求」 では、ブータンのことを 「おだやかでやさしい生活パターンで有名な、牧歌的仏教王国」 として書いてありますね。 バランスを考えて (in the interest of balance)、わたしなりに指摘しておきたいのは、伝統的にブータンの低地に居住してきた主としてヒンズー系の少数民族に対して迫害が行われていること。 強制送還や暴力行使が行われ、代々の所有物を補償金もなく没収しています。 残った少数者たちは、ブータンの伝統衣装を着させられ、学校で少数民族言語を教えることも禁じられました。 牧歌的というには程遠いかも。 Michel Bostrom (オーストラリア、アデレード市)≫ 原住民を迫害し、住みやすいところを奪って住んだ豪州白人に、これを言われたくはないな、というのが最初の感想だった。 この短文だけ読むと、ブータン系は悪玉ということになるが、ここで疑問が生じた。 ・ ここでいうヒンズー系の被迫害者たちは、ブータンの国境画定のあとに入って来た侵入者ではないのか? ・ それとも、ブータンが国境を画定するときに無理をして、ヒンズー系の異民族の領域まで自国領にしてしまったことが悪いのか? ・ ヒンズー系の少数民族は、第三国による政治的干渉の先兵として暗躍させられ、あやつり人形の悲哀を味わっただけではないのか? という具合に疑ってかかるところから出発するのは正しいよなと思いつつ、ネット検索してみた。この問題のこと、まったく知らなかったので。 Wikipedia の 「ブータン」 の項にも 「南部問題」 という小項目を立てて説明があるが、Wikipedia は活動家が書いていることがあるから、アテにならない。 国連UNHCR協会のサイトがあった。「ネパール (ブータン難民)」の項。 それによると、 ≪19世紀後半から20世紀初頭に経済的な理由から、多くの人々がネパールからブータン南部へ移住しました。 これらネパール系住民は1958年国籍法に基づきブータン国籍を取得するに至りましたが、低地に住むネパール語を話しヒンズー教徒中心のネパール系の人々と、中高地に住む仏教徒の主流派ブータン人とは、そもそも民族的にも宗教的にも異なります。 1980年に導入されたブータン政府の民族主義的政策の結果、ネパール系住民は国籍を失い、90年代初頭に大量のネパール系ブータン人が国を追われることになりました。≫ さきのオーストラリア人の投稿では、ブータンの低地にはそもそもヒンズー系の少数民族が住んでいた、という書きぶりだ。 しかし、国連UNCHR協会の記述によれば、ヒンズー教徒中心のネパール系の人々がブータンに進入したのは国境画定の後だから、彼らこそ身を慎むべき侵入者ではないか。 ネパールは人口2,800万人の大国だ。それに比べてブータンはわずか70万人の小国。 ブータン側は相当気合をいれて民族の独自性を守っていかないといけない。 「地球市民だよ」 みたいなことを言っていたら、あっという間にネパールに呑み込まれてしまう。 ネパールからの侵入者にはお引き取りねがうか同化してもらうかしかない、というのが、正しい政策だと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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