テーマ:読書(8504)
カテゴリ:読 書 録
ポルトガルの詩人・作家 Fernando Pessoa (1888―1935)。寺山修司みたいな広がりのあるひとだな。
あまたの箴言からなる本。ぼくもこんな本を最後に著述して死んでいきたい。 ≪神のことを考えることは、神に叛(そむ)くことだ。 神はわれわれが神を知らないことを望んだのだから。≫ (46頁) しびれるね。 ≪神は、彼よりも偉大な別の神にとっては一個の人間である。≫ (47頁) ペソアのことばに抱かれながら毎夜 眠りについたなら、人生はどんなに素敵で、不敵で、勝手なものになるだろう。 Fernando Pessoa 『不穏の書、断章』 澤田 直訳 (平凡社ライブラリー、平成25年刊) ものすごく鋭い「えぐり」のちからでグサッとくるページがあるかと思うと、数十ページにわたり退屈なひとりごとが続き途中で放り出そうかと思うところもある。 ペソアがじっくりゆっくりしたためたペンの歩みにペースを合わせて、すこしずつ読まなければいけないのさ、ほんとはね。 逆説と倦怠。 ≪読者はこの文章にどんな意味があるのかと自問しているにちがいない。そんな誤りをおかしてはいけない。 言葉や物の意味を訊ねるなどという子供っぽい習慣は捨てることだ。≫ (278頁) ここまで言い切った人間が、文学史上いたろうか。無敵だ。 で、子供って? ≪神がいるとしたら、それは無限に大きな子供なのではあるまいか。宇宙全体がお遊び、腕白坊主のいたずらではないのか。≫ (296頁) 逆説の数々。 ≪愛するとは、ひとりでいることに飽きることだ。したがって、怯懦(きょうだ)であり、自分自身にたいする裏切りである (愛さないことはきわめて重要である)。≫ (298頁) ≪優れた人間が、劣った人間やその兄弟である動物たちと異なるのは、ただ彼が逆説(アイロニー)という長所を持っているからだ。 この逆説(アイロニー)こそが、意識が自己を自覚する最初の徴(しるし)なのだ。 そして逆説は2段階を通過する。 第一は 「私は自分がなにも知らないということだけを知っている」 と言ったソクラテスの段階であり、第二は 「私は自分がなにも知らないかどうかさえ知らない」 と言ったサンシェス (16世紀のポルトガルの哲学者) の段階である。≫ (307頁) 切り立った崖のようなペソア。そのペソアに、こんな人生観を披瀝されるとほっとする。 ≪わたしとは、俳優たちが通り過ぎ、さまざまな芝居を演じる生きた舞台なのだ。≫ (40頁) ≪私たちには誰でも二つの人生がある。 真の人生は、子供のころ夢見ていたもの。 大人になっても、霧のなかで見つづけているもの。 偽の人生は、他の人びとと共有するもの。 実用生活、役に立つ暮らし。 棺桶のなかで終わる生。≫ (73頁) ≪私は、野原の真ん中に始まり、別の野原で消え失せるような道路を造って一生を送りたい。≫ (319頁) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
Mar 3, 2013 11:04:48 AM
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