テーマ:読書(8504)
カテゴリ:読 書 録
元帝国について認識を一新させられた。野蛮だけでは人民はついてこない。システムとして拡がれる政権には、前代になかった合理性が貫かれていたということだろう。
杉山正明 著 『クビライの挑戦 ― モンゴルによる世界史の大転回』 (講談社学術文庫、文庫版・平成22年) 1293年に、現在の天津市にある直沽(ちょっこ)の港から、北京市の前身である大都(だいと)中央部の積水潭(せきすいたん)まで運河を通した。 海から37メートルの高低差を乗り越えて、北京市内まで海洋船が入っていたとは! 10ヶ所に閘門(こうもん、=水門)を設け、閘門ごとに大きく半円形をえがいて迂回する細い水路を付設した。 ひとつの水門を経るごとに約4メートルずつ船が登り降りしたわけだ。 閘門ごとに、運河の管理・維持と船の曳航のために2,000人を超す人員と大量の馬が常設されたが、それでも馬や荷車で運搬するよりも運搬効率が高かった。 (145~152頁) 南宋の城市である襄陽(じょうよう)をクビライ政権が包囲・落城させた戦略にも感心した。 (156~180頁、本書では 「フビライ」 ではなく 「クビライ」 といっている) のちの明朝で大航海を指揮する鄭和は、≪最近みつかった家譜によれば、大元ウルス (=本書でいう 「元帝国」) 時代に雲南開発をおこなったサイイド・アジャッルの後裔(こうえい)であるという。もしそうならば、かれがイスラーム世界で歓迎され、また永楽帝がかれを艦隊司令官に任命した理由もよくわかる≫ (259頁)。 原著は朝日選書として平成7年刊の 『クビライの挑戦 モンゴル海上帝国への道』。ぼくが読んだのは朝日選書版。この本文中の参照頁は、朝日選書版のページなので、講談社学術文庫版のページとやや異なります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
May 6, 2013 12:01:07 PM
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