テーマ:政治について(20209)
カテゴリ:世界を見る切り口
安倍首相の「希望の同盟へ」演説をわが外務省のサイトで読んで、目がうるうるした。まことにみごとな演説で、全文を教科書に載せてもいいと思う。
(全文、というのがポイントで、教科書執筆者の恣意に任せようものなら、自衛隊の国際貢献について具体的に語った箇所など、真っ先に削除されかねない。) (英文原文) http://www.mofa.go.jp/na/na1/us/page4e_000241.html (外務省の和訳) http://www.mofa.go.jp/mofaj/na/na1/us/page4_001149.html 前半はユーモアに満ち、米国人の心をぐっとつかむ。安倍総理の人間味も伝わってくる語り口だ。 日本そして安倍総理と関わった大ぜいの米国人の名を挙げることで、この日の演説の内容には数多くの証人がいるのだという印象を与える。この構成も秀逸。 一読してわかるのは、単に霞が関の外務官僚らが切り貼りした和文を英訳したものではないこと。英語原作の憲法はサイテーだが、英語の演説はやはり英語原作でなければダメだ。 ■ 日本は戦勝国だ ■ 日米がともに戦勝国であることをうたっているのが良い。 In the end, together with the U.S. and other like-minded democracies, we won the Cold War. That's the path that made Japan grow and prosper. And even today, there is no alternative. ≪そしてついに、米国および志を同じくする民主主義諸国とともに、われわれは冷戦に勝利しました。 この道を歩むことで日本は成長し繁栄するに至ったのです。 これ以外の道がないことは、今日も同様です。≫ (なお、和訳は泉が英文から訳した。以下、同じ) 第二次大戦時そもそも存在しなかった共産中国と韓国が 「戦敗国の日本はオレたちにひれ伏せ」 と かまびすしい昨今であるが、とんでもない話で、 「冷戦終結を以て日本は戦勝国となった。中国は、ちがうよね」 という正しい歴史認識ののろしを上げたものと言ってよろしい。 中国はもとより、韓国もすでに like-minded democracy とは言えまい。残念なことである。 ■ 自責の念は、戦後すぐの話 ■ この豊穣な内容の演説を読むにつけ、メディアがこぞって取り上げた例の箇所をことさらに論じるのは、あまりに「ためにする」ことと忸怩(じくじ)たる思いだが、わたしなりに語ろう。 Post war, we started out on our path bearing in mind feelings of deep remorse over the war. Our actions brought suffering to the peoples in Asian countries. We must not avert our eyes from that. I will uphold the views expressed by the previous prime ministers in this regard. ≪戦争直後、日本国民はあの戦争に対してやるせない自責の念を心の中に抱きつつ歩み始めました。 われわれの行為でアジア諸国の国民に苦しみをもたらしたのです。そのことから日本国民は目をそらしてはなりません。 この点に関してわたしは、わが国の首相たちがこれまで表明してきた見解を引き継ぐものです。≫ 外務省訳が「戦後の日本は、先の大戦に対する痛切な反省を胸に、歩みを刻みました」とあるが、誤訳である。原文の英語は started out on our path とあるのだから「歩みを刻み始めました」である。 つまり、外務省訳にいう「先の大戦に対する痛切な反省」は、あくまで、歩みを刻み「始めた」時点に抱いたものであり、今日なお deep remorse を抱いているとは、どこにも言っていない。 それでよろしい。 今回使われた remorse という単語も、上手に選んだものだ。「内心に宿す自責の念」としては相当に強いことばだ。 あくまで個々の人間の内心に属する感情であり、国家機構としての意思を言うものではない。 内心に属するものであるがゆえに、謝罪という行為とは別である。 それでいて、安倍総理の演説を聞く米国人らは、安倍総理自身が現在進行形で deep remorse を抱いているという印象を持つ。 「アベはアブナイ政治家だ」と触れ回る中・韓のエージェントらによる中傷を払拭するために大いに役立つことばを選んだものだ。 ■ これっきりですね、の思いを引き継ぐ ■ 村山総理も小泉総理も、例の「おわび」を述べたときは、「これっきり」と思って述べたに違いない。 ここまで繰り返し平身低頭を要求されることなど想像もしていなかったし、ましてや サンフランシスコ平和条約や日韓基本条約、日中友好条約を反故(ほご)にせんばかりの「賠償要求」を受けることなど想定もしていなかった。 ≪この点に関してわたしは、わが国の首相たちがこれまで表明してきた見解を引き継ぐものです≫ と安倍総理は言ったのである。 * 英語原文を読んでいると、東京都硫黄島(いおうとう)のことを Ioto と呼び、そのあと米国人の言を引用するなかで Iwo Jima の名を使っている。 日本では、硫黄島(いおうじま)は鹿児島県の薩南諸島北部に位置する小島だ。 わが軍が祖国防衛戦を繰り広げた島は、硫黄島(いおうとう)なのである。 ところが米国人にとっては、聖戦を繰り広げたのは Iwo Jima ということになっていて、この日本領の島に星条旗を立てる兵士らの姿の記念彫刻も Iwo Jima と称する。 Iwo Jima という名称にも言及しつつ、正しい名称の Ioto を米国で正式にデビューさせたあたりも、この演説の起草者の偉いところだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
May 1, 2015 06:47:42 AM
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