テーマ:政治について(20225)
カテゴリ:世界を見る切り口
「終戦の日か、敗戦の日か」という言い草があります。
「終戦は8月15日なのか。それとも?」という議論もあります。 わたしは、どう整理しているか。 8月15日 終戦 8月22日 停戦 9月2日 敗戦 昭和20年8月15日付で「終戦の詔書」が煥発(かんぱつ)されます。 「終戦」は「戦(いくさ)が終わる」ではありませんね。「戦ヲ終エントス」の日であります。 戦争「を」終わらせようと決めた、のであり、残念ながら実際の戦争はまだ終わりませんでした。 帝国陸海軍に対しては8月15日付で「停戦命令」が発布されます。戦闘する相手の軍と停戦を取り決めよという命令です。相手の軍が応じなければ、やむなく戦闘を続ける必要は存在しました。 ■ 停戦までの祖国防衛戦 ■ 昭和20年8月18日午前1時半、わが祖国の領土である北千島の北端、占守島(しゅむしゅとう)にソ連軍が攻め込みます。北海道をソ連領にしよう(=侵略しよう)と意図した、大東亜戦争の延長戦です。 このソ連侵攻の第一報を札幌で受けたのが、わたしが尊敬してやまない樋口季一郎(ひぐち・きいちろう)中将です。 樋口中将は「自衛戦闘」を指示しました。 それに応えて、ソ連軍に対して猛烈な逆襲を繰り出したのが、池田戦車連隊。当時の精鋭部隊で、戦車隊の戦闘は日本軍の大勝利でした。この守備隊が、日本軍の戦闘能力と気概をソ連に見せつけ、 時間稼ぎをしてくれます。 ソ連軍の別部隊は、北海道侵略を目指して留萌(るもい)沖合に集結します。なるほど留萌から上陸すれば、札幌と旭川へ容易に進軍できます。 しかし、未解明の「国際政治」が動き、留萌に上陸寸前のソ連軍はモスクワから8月22日に転進命令を受け、8月23日未明までに全部隊が北海道の北を回って南千島の占領に向かいます。 北千島で日本軍第六方面軍が8月18日から繰り広げた祖国防衛戦は、8月22日にソ連軍と停戦を取り決めることで終了します。 だから、8月22日が日本国防衛戦争の停戦の日なのです。「戦(いくさ)ヲ停(や)メタル」日です。 こちらの自由主義史観研究会サイトに8月22日の停戦のことが詳述されています: http://www.jiyuushikan.org/rekishi/rekishi-324.html ■ 9月3日を記念日にする中国の馬鹿さ加減 ■ そして9月2日に「降伏文書調印に関する詔書」が煥発されます。東京湾に浮かぶアメリカ戦艦ミズーリ号の艦上で、降伏文書の署名が行われます。 これが、敗戦の日となりました。「戦(いくさ)ニ敗(やぶ)レタル」日です。 連合国側の Victory over Japan Day 略して V-J Day は、英国では8月15日、米国では9月2日です。 中国では、降伏文書署名の翌日である9月3日が「中国人民抗日戦争勝利記念日」とされており、ずいぶん間の抜けた話であります。 国慶節を10月2日とするようなものですな。 記念日にするなら、降伏文書調印当日である9月2日にするのが正でしょう。 9月3日を記念するのは、中国国民党が昭和20年9月3日を急遽「記念日」として休日にしたのが起源。当日は休みにするのが間に合わず、翌日に休んじゃいました ということで、それを共産党も引き継いで記念日にするわけですから、ふざけた話であります。 ちなみに中国国民党政府が南京で日本軍の降伏文書を正式に受理したのは昭和20年9月9日でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
Aug 15, 2015 11:45:05 AM
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