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カテゴリ:他事暴論(たびたびタジタジ、)
第三者的なものの見方だとは思うけれど、
他人の行動や状況に依存する生き方をしている人が、それではにっちもさっちも行かなくなって、その依存から逃れるために自殺を選んでいるのではないかと思う。 自分を取り戻すために選ばざるを得なくなった行動という見方。 (消極的というか、後ろ向きだとは思う) 上からのお達しっていうのも、他人の行動や状況っていうようなもので、また、それと現場は違うっていうことで板ばさみになることも、やはり他人の行動や状況に依存しているってことのように思う。 犯罪的なことをされて、犯罪だと感知できない人はそもそも状況に依存している感じ。 自分の押し付けたものが、どのような波紋を投げかけるものなのか、わかっていないしわかろうともしないところにも問題があるような気がする。 何か変なものを信奉していたんだろうと思うのね。 (自分の能力を信じるというような、根拠のない自信のようなもの) 校長先生の自殺って、その学校の生徒たちにどう説明するのか?っていう問題がこの後起きてくるような気がする。 「死ぬな!」と言うことや、「同情はしないよ」と言うことが説得力を持つと思う人は、どこかまだ、見えていない部分があるのではないかと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年11月05日 13時21分09秒
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