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カテゴリ:他事暴論(たびたびタジタジ、)
扶桑社が「つくる会」の歴史教科書の出版をやめるというインターネットニュースを今日、読んだ。
(読んだのは、6月4日だよ。日記の日付とは違うのは許してね) 右寄りの内容で売れないから、ってのが、扶桑社の言い分なのかな…? (言い分については詳しくは読まないの) でも、この教科書、検定は通っているんだね。 検定は通って、でも、採用する学校がないから売れなくて、採算が合わんということなんじゃないかな? これ、単純に、もったいない感じがする…。 なんかね、左寄りの教科書を右寄りから見たらこうなりますよっていうような、「副読本」っていう位置づけならけっこう売れるんでないの?ってね、思う (ましてなんたる僥倖か、検定済み!) あるていど、物を考えるのに必要な歴史的トピックっていうのはあると思うの。 これがあったから、このことが起こったっていうような、物事の順序だてみたいな、はずせないものはね。 だったら、やっぱり二種類の教科書があれば(というよりどちらかを副読本として読めば)、記憶として定着しやすいっていうことは考えられないかな? 結局、一本の歴史があるように記述されること自体が、歴史ってものがなんなのかをあらわしていると思う。 はっきり言うけれど、歴史教科書にはじめから思想を盛り込むこと自体に、問題があると思う。 んで、本当は、そういうことを勉強するのが歴史って教科なんじゃないかな? ようちゃん2号が一番問題と思っていることは、作る方にあまりそういった自覚があると感じられないことだな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年06月04日 11時10分25秒
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