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関本洋司のblog

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関本洋司

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2004年09月03日
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カテゴリ:アーカイブ
 以下、ボブ・ディランの興味深いインタビュー記事から引用します。ここには先の日記で触れたアレゴリカルな思考があるように思います。

(質問者)これまでに、書こうとしても、どうしても書けなかったようなことは?
         
ディラン あるとも。どんなものでも、書こうとすると書けないものなのだ。僕が何かについて書こうとしたとする--「馬について書きたい」とか「セントラル・パークについて書きたい」とか「グランド・キャニオンについて書きたい」とか「コカイン産業について書きたい」--ところが、それじゃ、何もうまくいかないのだ。いつも肝心なものを除外してしまうのだ。ちょうど、あのHurricaneの歌のように。僕はハリケーン・カーターについて曲を書きたかったし、そのメッセージを広めたかった。ところが、ハリケーン・カーターについてなど、どこにも出てこない。ほんとうなんだ、その曲の本質というものは、何かについてではない。つまり、すべてはきみ自身についてなのだ。きみが誰か他人の靴をはいて立っているかぎり、きみにはその感触がどんなものかわからないだろう。それが何についてかさえわからない。
 映画を観に行って、「何についての映画だったんだ?」ということはできる。映画というのは、きみに時間を止められるという幻想を抱かせるものなのだ。きみはどこかに行って、しばらくのあいだじっと坐っている。きみは何かを観ている。わなをしかけられたも同然だ。すべてはきみの脳の中で起こり、いま世界ではそれ以外に何も起こっていないように、きみを思わせる。時間はとまっている。外では世界が終末を迎えようとしていたとしても、きみにとって、時間は止まったままだ。その時、誰かが「何についての映画だったんだ?」と聞く。「うーん。よくわからないな。同じ娘をものにしようとしていた、二人の野郎の話だろ?」あるいは「ロシア革命についての映画だよ」そうだ、それは映画が何についてだったか説明しているが、映画そのものではない。きみに、ずっと座席に坐ってスクリーンに見入ったり、壁のライトを見つめたりさせたのは、それではないはずだ。他のいい方をすれば、きみは、「人生とはいったい何なのだ?」ということもできた。それは、いつだって映画のように過ぎていくだけだ。きみがここに何百年もいようが関係なく、それはただ過ぎ去っていく。誰にも止めることはできない。
 だから、それが何についてかなどということはできないのだ。ただ、きみにできることは、その瞬間の幻を与えようとすることだけだ。だが、それにしたって、それがすべてではない。きみが存在していたという単なる証なのだ。
 どれが何についてだって? それは何についてでもない。それはそれなのだ。

(『ロックの創造者たち』より)





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最終更新日  2004年09月03日 03時24分41秒
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