恋愛小説…
最近、心に潤いが足りないなぁ…とか、思ったので、久しぶりに恋愛小説でも読んでみる事にしました。オースティンの「Pride and prejudice」(邦訳では「自負と偏見」「高慢と偏見」など、数種類の訳があります)。ところが、一時間もすると、ツマンネ…(笑)サマセット・モームや夏目漱石も評価しておる作品なのですが、どうも恋愛小説っての自体に馴染めない。文学者を除いて、恋愛小説ってのは、どうして男には理解されないのでしょう。この問いは、そっくりそのまま、何故、女性(の一部)は、恋愛小説が好きなのか、という疑問と同義なのですが、一つ回答があるとするなら、女性は人からの愛を心から渇望する傾向が強いからかもしれません。「恋愛小説」というのは、恋愛をテーマにしているわけですから、事件はあっても、決定的な悲劇にはならない、何か、男から見ると、淡々としていて、つまらない。男が、しがらみや雑念から解放され、愛の全てを女性に向けてくれるかどうか、その過程を見るのは、女性にとってはこの上なく楽しいのかもしれないが、リアルにそんな男がいたとすれば、ストーカー的傾向のある男だけでしょう(笑)少なくとも、ボクは彼女にフィフティフィフティを求めますので、甘えられたり、干渉されたりするのは、大嫌い。サラ・ブライトマンではありませんが、男にとっちゃ、「It’s a question of honour!(この動画好き(笑))」なんですよ。サビの歌詞は、圧巻ですね。If you win or you lose, its a question of honourAnd the way that you choose, its a question of honourIf you win or you lose, its a question of honourAnd the way that you choose, its a question of honourI cant tell whats wrong or rightIf black is white or day is nightI know when two men collideIts a question of honour男は、よく言えば自己を客観視するのがうまく、悪く言えば、自分本位である。自分本位と、自己利益が、パラレルではない所が、実に厄介。名誉が実存を凌駕してしまう事が、よくあります。名誉に殉ずれば、実存が抹消されるのだから、本末転倒ではないか、という問い、要するに「死んじまったら、元も子もねぇよ(笑)」という意見は、大昔からあるんですけど、「名誉なき実存が、人間の存在証明と言えるのか」という反論もまた一理あり。この「Pride and prejudice」の主人公ダーシーもそんな男の一人。エリザベスの愛を失いかけても、自分は愛し、その頑なまでの高慢さを墨守する馬鹿さ加減は、何とも美しい。最後に、ベスが振り向いてくれたから良かった物の、おそらくベスが気付かなくても、ダーシーは、そのキザな態度を崩さなかったと、ボクは信じます。まるで、学生時代のボクのよう(笑)だから、結局男と女の妥協点になるのが、「悲劇」になるのかもしれません。「悲劇」に「恋愛」がお約束のように付いているのは、その為です。誰からも忘れられた人が、一人寂しく野垂れ死にするのが、ボクには最も不幸な事だと思うのですが、そういうのは、「悲劇」では、ありません。オイディプスの昔から、悲劇には、必ず、主人公が、実は愛されているという担保が、作中にあります。愛されてるからこそ「悲しい」のであり、人の不幸に涙する時、女はその純粋な愛に涙し、男は信念に殉ずる者を称える。シェークスピアが多くの人から支持されのは、そのすべての作品にこの両面性が潜んでいるからに他なりません。