私が子供の頃に体験したことを書いてみました。 一生心に閉まっておこうと思っていましたが、人に教えてはいけないような事ではないので記憶を辿って書きました。文章は下手で読みにくいと思いますが、ご勘弁を願います。
私が子供のころは、周り近所の人たちも同じように低い生活レベルでした。 なかでも、父親の無い家族の生活レベルは、より以上低かったと思います。教科書も買えない、給食費も払えなかった、そんな時代があったんです。 当時、父親が亡くなってしまった子供がクラスに1人か2人はいましたね。 私が小学校1年生の時、まま母を持つ5年生か6年生のお姉ちゃんが同じ小学校にいました。 髪の毛は散切り頭で顔にも汚れがある。そんなお姉ちゃんでした。 このお姉ちゃん、日曜日になるとリヤカーを引いてビンや缶、鉄くずや釘などを拾い集めているんです。何故だと思いますか、まま母が文房具一つ買い与えなかったんです。 いつの日か忘れてしまいましたが、3つ上の私の兄と私とお姉ちゃん、そしてお姉ちゃんにオンブされたお姉ちゃんの妹、こんな組み合わせでリヤカーを引いていました。私はまだ小さかったので、どんな気持ちでお手伝いをしていたのか記憶にはありませんが、私の兄は自分の意思で行動していたかと思います。 もちろん、私達は母親にも内緒でお手伝いをしていました。 毎週毎週、日曜日になると私達兄弟が夕方遅く帰ってくるので、母親は私たちに問質したことがありました。兄「かわいそうなお姉ちゃんがいるんだ」「おれ達が手伝ってあげなきゃかわいそうなんだ」 母親「それなら手伝ってあげな」一言。
このお姉ちゃん、まま母には相当苛められていました。 畳の上で寝させて貰えなかったんですよ。まま母が後妻になって、お婆さんも玄関で寝ていたようです。結局、お婆さんは栄養失調で玄関で亡くなりました。 その後も、お姉ちゃんへの苛めはエスカレートしていったそうです。 クズ鉄拾いは2年生まで続きました。拾い集めたクズ鉄は、近所のクズ屋さんに持っていきます。 クズ屋さんも内情を知っているので、お金を余計にくれていたみたいです。 お姉ちゃんは私達にも報酬を渡そうとしますが、私達は受け取ることはしませんでした。 お姉ちゃんには、まま母の子(私と同級生と2つ下)の弟2人がいました。 その子等は、お姉ちゃんがクズ屋さんに帰ってくる頃になると現れたんですよ。 当時のお姉ちゃんも育ち盛り、お腹も空いていただろうにノートだって買いたかっただろうに、その子供たちがお姉ちゃんにオネダリするんですよ「お腹空いた」って。子供ながらに、その子等が鬼子のように見えました。 お姉ちゃん、自分は食べず、その子等にパンを買い与えているんです。一所懸命拾い集めたクズ鉄を売って、やっと得たお金で買い与えていたんです。 何の考えもなくパクパクと食べている姿が今でも頭に焼き付いています。 この時、お姉ちゃんが天使のように見えましたし、輝いても見えました。この子等のまま母に苛めぬかれる毎日なのに、なのにお腹が空いたと言う子等にパンを買い与える心、無償の愛なくして何の愛でしょうか。 貧乏な生活以上に苦しい生活がある事を知った私達は、このお姉ちゃんに大きな、大きな大切な心を頂いたように思われます。 今思っても眼頭が熱くなってきます。
お姉ちゃんが中学に入学する直前、ある先生が孤児の施設と掛け合って、お姉ちゃんを入室させました。きっかけとなったのは、お弁当でした。 お姉ちゃんは給食の時になってもお弁当を決して開けようとしなかったそうです。 不思議に思った先生が無理に開けてみたら、ほんの少しのご飯と梅干しが一つあっただけだそうです。 このことが決め手になって先生は施設と掛け合い父親を説得したそうです。普通は施設に入ること自体、惨めに思えますが、この話を聞いた当時、子供ながらにホッとしたのを思い出しました。私の家は母親だけでしたが、多少の貧乏なんかこのお姉ちゃんの苦しみから比べたら何の苦しみでもありませんでした。
その後のお姉ちゃんは、施設を卒業して保母さんになり結婚もして幸せな生活を送っているそうです。今では、お姉ちゃんにきっとお孫さんもいらっしゃると思います。