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カテゴリ:小説・海外
記憶四部作で日本でも人気が高いトマス・H・クックの最新作『沼地の記憶』を読みましたので、その感想です。
あらすじはamazonからのコピペ。 教え子エディが悪名高き殺人犯の息子だと知ったとき、悲劇の種はまかれたのだ。 若き高校教師だった私はエディとともに、問題の殺人を調査しはじめた。 それが痛ましい悲劇をもたらすとは夢にも思わずに。 名匠が送り出した犯罪文学の新たなる傑作。 あまりに悲しく、読む者の心を震わせる。 巻末にクックへのインタビューを収録。 記憶四部作と言うのは、『死の記憶』、『夏草の記憶』、『緋色の記憶』、『夜の記憶』を言うのですが、実は原題に“記憶”が入っているのは『死』だけなんですね。 記憶四部作と言う呼び方もたぶん日本だけなんじゃないかなぁ。 で、『沼地の記憶』は『MASTER OF THE DELTA』です。 帯には「あの名作《記憶シリーズ》の哀切と慟哭、ふたたび!」と・・・。 私は、記憶四部作の後の、その趣きを残しているけれど、ラストに希望が見える『心の砕ける音』がクックの中では一番好きです。 ですが、その後の作品はどうも今一の感がありました。 帯の宣伝文句を読むと、やっぱりそう思ってた人って多いのか?とつい思ってしまったり。 せっかくなので記憶四部作に絡めて、感想を書こうと思います。 確かに《記憶シリーズ》の一冊とも言って良い雰囲気の小説です。 主人公・わたしが過去を語ることで話は進む。 当然わたしは何が起こり、顛末がどうなったのかを知っているのですが、それは少しずつ少しずつ、過去の話の進み具合に沿って出されていく。 記憶四部作は心情表現が豊かで、それが哀切に満ちている。 『沼地』もそうです。 父子の物語であるところは『死』、一部展開が『夏草』、そしてグロイところは『夜』のようだと思いながら読んでました。 グロイところですが・・・。 “わたし”は高校の教師で、殺人犯の息子であるエディーの特別クラスを持っている。 そのクラスって言うのが、“悪”がテーマなんですけど、要は過去のおぞましい実話を教え、そこから人間の持つ悪を知る・・・と言うことらしい。 私は日本の高校しか知らないですが、アメリカって、しかも結構な昔でこんな授業が許されていたのか?とリアリティーを感じなくて。 元々勉強に興味が薄い子供たちに、少しでも関心を持たせる為・・・なんですが、実は“わたし”自身が“悪”に取り付かれていると言う事を表しているんでしょうが、私には次から次へと出てくる残酷な話には、作者のあざとさを感じてしまった。 それは前にも他の作品で、ことさらに「泣かされる」事を目的として書かれたような印象に感じたのと同じ種類のもの。 作家だから売れることを目的として書くのは当然ですが、余り表に出すぎると、読んでいてイヤな気持ちになります。 少なくとも、四部作と『心の砕ける音』では感じたことはなかった。 また四部作は“事件”もまた興味をつないで読ませてくれる小説だったし、どんでん返しの、更に先にまたどんでん返しが待っているラストがあったけど、『沼地』はそれが物足りないかな。 “わたし”がどのようにして罪を犯していくのか、その過程を読む小説だと思いました。 その辺りはやっぱりクックだな、と言う感じで、さすが。 恵まれた境遇で育った“わたし”。 自分では意識していないものの、どこかで人を見下している視線の高さがある。 若さゆえの思い上がりもある。 それがエディーの父親の事件を調べていくうちに、徐々に、確固たるものだと思っていた自分の足場が揺らいできて、それに伴い、精神的にも混乱していく。 自らが生徒たちに教えていた“悪”に、自分も落ちていく過程は読み応えがありました。 日本では、四部作は、アメリカでの出版順とは違っていました。 クックが書いた順で四部作を読むと、『心の砕ける音』はその流れの後の、1つの完成形と言う気がしてました。 故に、それ以降、“記憶”のような小説は書かなかったのではないか、と。 『沼地』で結局クックはここに、『心の砕ける音』の前に、戻ったのか・・・などと思ってしまいました。 いろいろ書きましたが、面白かったんですよ。 読み応えのある小説で、これ位の小説ってそうはなかなかないと思います。 ただ四部作(私は『死』は余り好きになれないんですが)、『心の砕ける音』と同レベル・・・とはちょっといかないな、と言うのが私の素直な感想です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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