【沖縄市民平和の日を定める条例】 6/23日は慰霊の日
沖縄市民平和の日を定める条例 平成5年4月1日 条例第18号第1条(目的) この条例は、国内で唯一地上戦が行われた第2次世界大戦の教訓とそれに続く施政権分離下の生活体験を踏まえ、すべてのものを壊滅する戦争を繰り返さないとする市民の総意に基づき、日本国憲法と「核兵器廃絶平和都市宣言」の理念の下に、すべての人が等しく平和で豊かな生活がおくれるまちづくりを進めるために、沖縄市民平和の日を定めることを目的とする。----------------------------------------------------------------------我が県が、第二次世界大戦において多くの尊い生命、財産及び文化的遺産を失つた冷厳な歴史的事実にかんがみ、これを厳粛に受けとめ、戦争による惨禍が再び起こることのないよう、人類普遍の願いである恒久の平和を希求するとともに戦没者の霊を慰めるため・・・6/23日を慰霊の日として最近まで休日になってました。休日じゃなくなったと記憶してますが・・・学校は休みかな?45年6月23日(22日と言う説と、どっちも違うと言う説もあり)沖縄戦で日本軍の組織的な戦闘が終わった日とされている日です。太平洋戦争で唯一地上戦が行われた沖縄戦は、20数万人の人々が悲惨な最期を遂げています。軍人よりも沖縄県民の犠牲者がはるかに多いのが、沖縄戦の特徴で20万人を越す戦死者のうち、9万4000人が、兵隊以外の一般県民や子供。悲惨極まりのなくかつ戦略的には何ら意味のない戦闘であった。沖縄県平和祈念資料館では出身地別戦没者数 全戦没者数 239,801人沖縄県出身 148,702人他都道府県 76,549人日本外出身 14,550人 と、なっていました。6/23が慰霊の日になっていているものの実際は23日後さらに日本が降伏した同年8月15日以後も沖縄は司令部の壊滅を知らされなかった兵士たちによる抵抗が続き、その日以後も多くの犠牲者が出た。沖縄戦が公式(法的)に終結したのは、現在の嘉手納基地内の越来村字で米軍第10軍司令部と琉球列島(沖縄)守備軍との間で沖縄戦の降伏調印式が行われた1945年9月7日。----------------------------------------------------------------------沖縄市「核兵器廃絶平和都市宣言」戦争の惨禍を防止し、世界の恒久平和と安全を実現することは、人類共通の念願である。わが国は、世界唯一の核被爆国として、再び地球上にあの広島、長崎の惨禍を繰り返させてはならない。また、わが沖縄県は、第2次世界大戦において、悲惨な地上戦を体験した唯一の県である。平和の尊さと戦争の悲惨さを身をもって体験したわれわれは、世界のすべての国に対し、二度と戦争を繰り返してはならないことを訴えると共に、そのことを子孫に伝えねばならない。よって沖縄市は、日本国憲法の恒久平和の理念に基づき、核兵器の廃絶を誓う全世界の人々と相携え、人類の恒久平和を実現することを決意し、ここに核兵器廃絶平和都市を宣言する。昭和60年6月20日沖縄市----------------------------------------------------------------------黙祷