葬式が終わると、ご住職に「お布施でございます。」と言って、何がしかの金銭を渡すのが一般的ですね。「お布施はいくらですか、はっきりしてくださいよ」「お心しだいで結構ですよ」なんて言われても、少なく渡してお勤めをいい加減にすまされたらかなわない。現代では葬式仏教しか残っておらんので、お布施の意味が誤解されて伝わっておるのじゃ。布施とは、悟りを啓くための修行のひとつで「布施波羅蜜」という「行」なのじゃ。人間は欲によって苦しむ。愛は渇愛であり、執着であり、無常の世にあって常住、不変を望むから苦しい。だから、その「欲」を取ってもらうために自分の所有物、金品を施して同時に人のため、世のためにお返しして役立てていただく。これが、布施行の考え方じゃ。恵んでやる、とか施してやる、ではないのじゃ。お布施させて頂きます、なのじゃ。これをインド語でダーナという。これが転じて旦那、檀那となって、乞食が物乞いするときの語り口になったと言われておる。布施とは元々、何かをしてもらったお返しにすることではない。無償の愛、即ち慈悲なのじゃ。現代の坊主の法事は経済行為=職業だから、法事料はいくらと決めればよいのじゃ。殆どの人が仏教に帰依して法事をしているのでもなく、もともと釈尊は葬式だの法事だのと、一言も言っておらん。これは中国から伝わった時に儒教的要素が加わったためなのじゃ。親孝行と先祖供養は儒教の専売特許じゃからの。今はお坊さんも若いから、はっきり「料金」として聞いたほうが宜しかろう。
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[JiJiの「無明会」(般若心経研究会)] カテゴリの最新記事
もっと見る