今の子供達は可愛そうじゃのう。昔は至る所に土があった。広場があった。ガキ大将がいた。虫がいた。蛙がいた。トンボがいた。川があり、田んぼがあった。夕暮れ時になるとおっかぁが晩飯だと言って迎えに来た。悪戯をすると近所の大人たちが誰の子でも叱ってくれた。いまの世の中は無機質なのじゃ。人間は社会的動物であるのに、即ち人と人とがコミニュケーションして生きていかなくちゃならないのに、それがどんどんなくなってきたのじゃ。異年齢集団の学習体験は特に大事じゃ。広場で小さい女の子や小学校の高学年まで、男女入り混じって遊んだ経験が大人になるプロセスとしては、非常に大事なのじゃ。おしくら饅頭で体力のない女の子が泣き出したら、ガキ大将が特別ルールを作ったり、みんなで今日の遊びを何にするか話し合ったり。そこには学校の知識教育の優劣は通用しない。擬似民主主義の世界であり、思いやりの学習の場である。男と女の違いを学習する場であり、真のリーダーシップとは何かを学習する場である。子供のけんかに親が入ってはいけないのは、こういった、擬似民主制をしっかり学習させるためである。子供達はこのときに暴力の「加減」を学習する。喧嘩の暗黙のルールを学ぶのじゃ。馬鹿な親御さんが「うちの子は一度も叩いたことがない。」と誇らしげに語っているのを見かけるが、そういう子が「まさか、あの子が」と言った事件をおこしているのじゃ。子供は原始動物の状態で生まれてくるので、小学校の低年齢(言葉で言っても判らない年齢)は、叩いて躾なければならないのじゃ。そこに親の権威を確立するのじゃ。教育とは半端じゃ出来ない。ある意味「洗脳」なのじゃ。
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