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カテゴリ:JiJiの「無明会」(般若心経研究会)
相手の立場に立ってものを考えると言うのは、自分を殺すことでは無いし妥協することでもないのじゃ。
何度も言っておるが「人間は社会的動物」じゃ。 人と人の間にリレーションがあるからには、「約束」ごとを決めなければならん。 人間は「理性」を持っているから他の動物と大きく異なり地球上での生物の頂点にいるのじゃ。 「理性」とは「感情」や「本能」、「知性」をコントロールして「善・悪」を判断するものじゃ。 原始動物世界には「理性」は存在しない。「弱肉強食」と「適者生存」の法則によって動いておる。 人間が神(人智を超える創造主)から与えられた最も偉大な能力は「心象」をコントロールする「理性」なのじゃ。 では「善・悪」は誰が決めるのか。それは皆が決めるのじゃ。 自分と他人は同事(おなじ)なのじゃ。人はみな自分が一番大事だと思っておる。 これは「種の保存」という動物としての本能からきている。 人間は社会を維持していくために「政治」と「経済」を持ち込んだ。自分の権利を守る事は、即ち相手の権利を保証することなのじゃ。法は運用にある。心の働きまでは誰もが客観視できる法律は作れないのじゃ。 宇宙も自然も人間関係も全てはバランスで成り立っておる。 利他の精神や報徳の精神は仏法でいう、「慈悲」の心である。損得に自分の心が働けば、損得により自分に帰ってくるのじゃ。 善因は善果を産む。「利他行」とは自分を殺すことではない。 休み時間が終わるから、また今度じゃ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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