育児の事で真面目な話。
妻が子供の世話にかかりっきりになっていて「愛情が子供に行ったのが許せなかった」と夫が妻を窒息死させた。というニュースを見たので、ちょっと語ってみたり。女性ってね。出産を経験したら誰でも「母親」になると思うんですよ。自覚が芽生えると思うんです。でも男性ってね。そういう「わかりやすい変化」ないじゃないですか。だから「父親」の自覚ってある人無い人のギャップ大きいかなぁって。子供が好き、っていう人はいると思うんです。でもそれと子育ては別で。自分の子も人の子も一緒じゃないですか。「子供好き」って。子育てって自分の子供とどう接するべきかとか、いろいろ考えること。一緒に遊ぶのは楽しいからではなくて・・・まぁ、父性本能の強い人は考えなくても出来る事なんですけど。で、私は出産するまで、どちらかというと子供は好きではなくて。嫌いじゃないけど、しいていうなら「興味が無い」だから子供も「絶対欲しい!」っていうのはなく。逆に、お店にいるうるさいガキとか、すっごいイヤだったし。でもね。出産するとですね。自分の子供っていうのもあるだろうけど、そうじゃない。「生」と「死」がすごく身近に感じたんですよ。だって、私がミルクを与えなかったら、この子は死んでしまう。ほこりひとつ。ネコの毛ひとつ。寒くないか。暑くないか。何で泣くのか。お腹が空いた?どこか痛い?自分が離れた間に何か起きたりしないか。トイレ一つ行くのにも躊躇して。自分の食事を作る時間すら削って。出産して1ヶ月は私だけダンナの実家にいてダンナと離れて暮らしたんですが不安で仕方なかった。だって、全てが初めての体験。赤ちゃんも赤ちゃん。さっき生まれたばかりの小さな小さな命。なくなってしまわないように ただただ必死で。自分の身なりなんて構う余裕無い。自分が楽しもうなんて思う余裕も無い。どこかへ行こうなんて。この子を置いていけないし、外出して病気にさせてしまうのもいやだ。(杏月が生まれた年の冬はインフルエンザが大流行してたんですよ)杏月が生まれて1年は本当に家にこもってました。買い物はほとんど宅配で。雑誌やCD買うのも通販でした。ノイローゼ。そういうならそうだと思います。性格からして、誰かに相談する事もせず。自分ひとり悩んで考えてすごしました。虐待はしてはいけないけれど、そのすんでのところまで。理性がそれを止めるのは、何度もあります。けっしてダンナサンのまえでは見せないけれど、内に秘めた悩みや葛藤はたくさんあって。何かで解決できるなんてものではなくて。何かをして欲しいとかそういうことでもなくて。私の中では「母親」の自分が今のところ大きい。別に子供のことで、たとえば病気の事とか。躾けの事とか。勉強のこととか。くわしいわけではないし、どちらかといえば知らない事の方が多いけど、でも、杏月には健康で楽しくのびのびと、やさしくて、活発で、いろんなことに興味をもって、いろんなことに挑戦して、そんな子でいてほしいし。杏月との未来がすごく楽しみなのです。そこにはパパももちろんいるし。杏月でさえどこかに行きたいというときに必ず「3人で行こうね」って言うんだよ。子供との時間が多いから。そのことで頭がいっぱいになっちゃうけど。パパとの時間は少ないかもしれないけど。いじけないで、寂しがらないで、パパも、こっちに来て一緒に遊びましょうv好きな人を苦しい目に合わせてまで、いったい何がほしかったんだろうね。きっとその人には「未来」が見えなかったんだろうな。