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先日に続き、鹿島田真希を。 レギオンの花嫁 もうわけわかりません。 「私」と「お前」「自分」が混在しているし、男なのか女なのかもわからない。 女だったのに「男○」(←私にや、かけません)があったり。ええ?みたいな。 ただ、思ったのは、 「六〇〇〇度の愛」が女の生きる先、生き様を描くことを目指したとしたら 「レギオンの花嫁」は女の存在の意味、を説こうとしているのかも。 前者が「渇きを通しての自覚」がテーマなら、 本作は「自己存在意味の植民による自覚」。 ああ、難しい。ほぼ、聖書です。 どちらの作品も、フロムの存在の定義がベースにあるように思う。 「六〇〇〇度の愛」は無垢の娼婦のような「与え方」。 「レギオンの花嫁」はフロムのいう「在ること」の植え付け。 うーん、やっぱり聖書クラスの内容ですね。 凡人にはわかりません。 印象的な表現は、 男は家族の法(コミュニティがつくりあげたもの??)の中でいき、 女は物語の法(多分、真理という意味なんだと思う)で生きる、ということ。 鹿島田真希は、女性性をつきつめたいのかしら。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007/11/13 12:28:45 AM
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